終わりの終わりは今始ったばかりーその 五 結び 2011年10月12日 (水曜日)
2011年10月12日 (水曜日)
終わりの終わりは今始ったばかりーその 五 結び
小出裕章「放射能で汚れた世界で私たち自身が生きるしかない。そういう時代に入った。そういう世界に変わったんだと、みなさんにも是非、認識していただきたい」(2011・9・10 大阪)
放射能汚染といえば、東北・関東のことだとして。西日本や南日本に住む人は他人事と感じることもあろう。しかし。フクシマから出る死の灰はそうなのであろうか。
◆ スイス気象台 拡散予報⇒
http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/
weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html
◆「フクイチ」風向きマップ
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/weather/gpv/wind/
【ブナ林便り】にも載せてある上記ふたつの資料は毎時更新される。
ぜひ、あなたの地域を探してみてください。
私の知人でも長野の人と山口の人 それぞれ関東にすむものと比べると温度差を感じる。
8月15日、大文字の焚き火が問題になったとき、小出裕章さんはMBSで「福島から京都に放射能が飛んで来てることに怒ってほしかった」と語っている。私のブナ林では大事なサイトとして、原子力学者の武田邦彦さんと小出裕章さんの大体毎日あるレクチュアーを読むことにしている。
8月9日種まきジャーナルで小出裕章さんはこう語っている。
「広島原爆がばらまいた核分裂生成物、その中の代表的なものがセシウム137という核分裂生成物ですが、そのセシウム137の1000発分を越えるセシウム137を福島第一原発の事故ですでに大気中にばらまかれたのです。そして今12万トンの汚染水として、多分それを越えるものがどうなっているのか?・・・1号機・2号機・3号機合わせて広島原爆の4000発分に相当するぐらいの核分裂生成物が炉心のなかにあったのです。そのうちわずかに100発とか200発或いは300発と私はいっているわけですが、まだまだ大量の放射能は閉じ込められた形でのこっている。原子炉がこれ以上溶ければこれから10倍のものがでてくるわけです。>
9月28日、NYタイムズ電子版が報ずるところでは、チェルノブイリ事故による黒海の汚染が最大約1000ベクレル/立方メートルだったのに対して、フクシマによる太平洋沿岸の汚染は10万ベクレル/立方メートルに達していることが、米国のウッズ・ホール海洋研究所のケン・べセラー研究員の調査で明らかになったという。べセラー研究員はタイムズ紙に語った。
<私たちは億ベクレルという数字も見ています。私たちは史上最大の放射能の海洋放出であると分ったわけです。私たちは実際、どれだけのものが放出されているか、依然として分っていないのです。>
仮設としては、地下水が汚染され、太平洋をなお汚染していると考えられるという。
2011年3月11日以降起こっていることは、実に<史上空前の大地・大気・地下水そして海洋汚染>という事実であり、そういう事故をかつてヒロシマ・ナガサキを自ら体験した日本・日本人がそれから66年しか経たないときに引き起こしたのである。
<世界には400基を超える原子力発電所があり、アメリカ104基、フランス59基、日本55基、ロシア27基、そしてドイツ17基などが主要な国の原子炉の基数である。
このうち、「震度6の地震と津波などの海洋からの打撃」を受ける可能性のあるところに建設されているのは日本の原発だけであり、地震という点では台湾、アメリカ、アルバニアなどの数基の原発があり、日本のように巨大地震と津波に頻繁に遭遇することはないと考えられる。
従って、日本の原発は「地震津波の頻発地域で運転を継続している世界でも特殊な原発群」ということができる。それにも関わらず、福島第一原子力発電所の1号機が「アメリカで設計された」とされたことや、福島原発事故後、九州の玄海原発の再開問題で「日本の原発の再開に当たってはヨーロッパで用いられているストレステストを経ることを条件とする」とされたのは、日本の原発の独自性に関する錯覚があると考えられる。原発の原型は1942年にエンリコ・フェルミがシカゴ大学で成功した時のものであり、その後、アメリカ、イギリスなどで初期の開発が行われてきたこともあって、日本よりアメリカやヨーロッパの方が原子力の安全技術については上位にあり、従って、欧米の設計や安全指針を参考にするということが長く行われてきた。筆者が原子力関係の会議に出ると、海外での会議の結果が報告され、その時に「海外ではこのように進んだ安全に関する研究が進んでいるので、日本も早く取り入れる必要がある」というのが基本的な論調であった。
しかし、日本における原発事故の最大の危険要素は地震や津波であり、日本ではスリーマイル島およびチェルノブイリのように運転操作のミスなどの運転上の危険性は低い。
従って、日本の原発の安全性を保つためには、「世界には地震にたいする安全技術はない」という認識のもとに日本が独創的な安全技術を創成していかなければならなかった。
事実、2007年の石川県志賀原発、新潟県柏崎刈羽原発が震度6の地震で破壊し、2011年には宮城県女川原発、福島県福島第二原発が震度6の地震で破壊した。さらに2011年の同じ東北大震災で、青森県東通原発、福島県福島第一原発、そして茨城県東海第二原発が全電源を失い、原子炉は崩壊熱で温度制御が不可能になった。このうち、「防潮堤を津波が越えたため」とされるのは福島第一原発だけで、他の2つの原発は津波が防潮堤を超えていない。そして爆発したのは福島第一だけであるが、東海第二は爆発寸前まで進んだ。つまり、世界の原子力発電で「震度6の地震に耐えたものはまだ存在せず、原子力発電所単位で言えば100%の原発が破壊されている。全部で7発電所が危機に陥り、そのうち3発電所が全電源を失っている。日本の報道の偏向で国民ばかりではなく専門家もこの事実は十分に認識していない。」武田邦彦・9月2日。
さて、9月26日に武田邦彦さんが、「原発事故6ヶ月と将来―生活篇」で語っている6ヶ月のふりかえり・まとめに耳を傾けよう。
<今度の原発事故を「生活」の面から見ると、最初からボタンの掛け違いでした。政府の中枢部や東大教授が「どうしたら国民を被曝から守るか」ということを考えれば、気象庁が風向きを出し、文科省がSPEEDIを公開し、避難用のバスを手配し、速やかに国民を避難させ、公務員とボランティアを組織して除染作業に当たることはきわめて容易だったのです。その後、本来なら子供を守るために必死になるはずの文科大臣が「20ミリ(400回のレントゲン)まで我慢しろ」と言い、教育委員会がそれに追従するに至って、国民は自衛に切りかえました。その中でもお母さんの動きが速かったこと、男性は「ばかやろうおじさん」に代表されるように、子供を被曝させる側に立ちました。
4月は、3月に漏れた放射性物質が風に流されて3方向にながれ、まだ空気中に飛んでいました。この頃、空気中の放射性物質が家庭の中に入り込んだのですが、政府の誤報もあって、お母さんは「家の中を拭く」ということに思い至りませんでした。そこで私は「粒がある」、「花粉のようなものだ」、「水拭きが有効だ」、「赤い粉がある」、さらには「悪い奴がそこにいるのだ」と繰り返し、お母さんは床や壁を拭いてくれました。それによって室内の放射線量は平均して3分の1ぐらいになり、子供たちの被曝量も3分の1になったのです。中には芝生をはいだり、家具を捨てたりした人もおられますが、なにしろ放射性物質を身の回りから少しでものける必要がある時期でした。今でも基本的には変わっていませんが、4月から5月にかけて、専門家や自治体が「除染しなければならない」と指導してくれれば、日本人の総被曝量はかなり減ったでしょう。私が個人で呼びかけても限界がありますし、自治体が「何もしなくても良い」と繰り返したのは法律違反でもありました。5月に入ると、放射性物質は地面に落ち、私は「お子さんを外出させるときには手を引かずにだっこして」と呼びかけました。浅草の空間線量が0.2マイクロまで落ちても、地面は10倍もあったからです。それと同時に地面に降った放射性物質は、野菜を汚し、水道に検出されるようになりました。
6月になってもまだ自治体は「1年100ミリでも健康に影響がない。1年1ミリというがどの法律に書いてあるのか!」と市民を罵倒していました。もしかすると半減期が8日のヨウ素が減少するまで頑張る(市民を被曝させる)計画だったのかも知れません。7月、8月になって放射性物質は地面に落ち、ホットスポットも明らかになり、ようやく法律も理解され始めました。今では、1年1ミリが法律の規定であり、他のものは政府が非難や除染をしたくないから決めた値であることが判ってきました。そして半年たって私たちは子供を守る長い旅に出ようとしています。原子力をやらなくても日本のエネルギーに問題は無かったのですが、私たち大人(特に私のような原子力に関係した人)の責任は重たいのですが、その失敗を子供たちに負わせることはできません。>
史上空前の時代―非日常が日常と化した日々 少なくとも今現在、私の目から見ると、戦争よりひどいことが進行していると思う。福島で。
そのことにしかし、ほとんどの人が気がついていない。
小出裕章さん、映画監督岩井俊二に語る、10月2日。
以下、すこし、殆ど気づいていない状況を小出裕章さんのことばで列挙してみようか。
3.11から6ヶ月経って。
◆ 安全な被爆(つまり放射能は)は存在しない。
◆放射能は日本全土(沖縄にも)降っている、世界そして海洋いずこにも。
◆原発がやめられない最大の理由は核をもちつづけたいことか。
◆<日本に住んでいる人々は1年間に1ミリシーベルト以上の被爆をしてはいけないし、させてはいけない>という一度決めた法をいとも安易につりあげてしまう日本は法治国家なのか?
◆汚染の程度はわかっている。その汚染程度、範囲を隠そうという作戦を取っている東電・政府?
◆汚染はひろがり、浸透しつつある。全面的な完全な除染というのは不可能だ。
◆森林や田畑があたかも除染できるかのように言うことが間違え。
◆本当は、もつともっと深刻な汚染なんだということを国はいわなければならぬ。
◆約100倍も汚染が強いゴミもそこらに埋めてしまうしかないと言い出している。
◆1ミリシーベルト超えて、20ミリシーベルト超えない(緊急時避難準備区域)というのは、私のような放射線業務従事者という特殊な人間だけに許されてきた基準。これから避難を解除する地域は、子どもも含めて私のような放射線業務従事者になれというに等しいです。
◆もし20ミリシーベルトまで許すとすれば、80人が癌で死ぬということになります。 そしてゼロ歳の赤ん坊は平均的な大人に、平均的な人間に比べて4倍、危険がありますので、ゼロ歳の赤ん坊は20ミリシーべルトの被爆をさせられてしまうと、1万人のうち320人の赤ん坊がやがて癌で死ぬということになります。
◆いま生きている日本人は誰一人、廃炉の終わりを見ることはないのではないか。
◆汚染食品は責任ある大人が食べるという提言とその理由。
◆反原発の闘いと沖縄の闘いは同じだ。
◆1.2.3号機あわせれば、広島原爆4000発分相当の核分裂生成物。
最近の南ドイツ新聞は国連での野田首相演説を酷評していることを在独の梶村さんが伝えている。(大沼安史の個人新聞・机の上の空)
梶村太一郎さんのベルリン報告:「南ドイツ新聞」痛烈論評 野田国連演説
→ http://tkajimura.blogspot.com/
9月24日付:「転換ではない転換(Eine Wende, die keine ist)」
クリストフ・ナイドハルト特派員
……日本のエリートにはイデオロギーはなく、話し相手によってさまざまな意見も容認する。彼らのたったひとつの目的は、権力とステータスの保持である。このためには誰が何を考えているかは重要ではなく、彼が誰と結びついているかが重要なのだ。これに加えて大事なのは部外者がこのオルガルヒー(寡占制度)を分裂させないことである。野田がいまやっていることはこのエリートをなだめようとしているのである。彼はこれを「安定をつくる」と称している。菅や鉢呂のような口先だけではない立場を表明する人たちはまさにこのじゃまをすることになるのである。……
梶村さん;第12回(7月15日)で紹介した同紙の「永田町のノミのサーカス」の続きですね。今回はさらに具体的に、原発ロビーに金で買われている政治家だけでなく、それとぐるになっているメディアもまともに突っ込んで批判しています。日本の戦後政治体制の非民主性を鋭く突いているといえるでしょう。>終わりの終わりは今始まったばかり。新たな始まりの胎動もはじまったばかり(911)。先達 2000年に亡くなられた高木仁三郎さんの最後のメッセージに再度耳を傾け、私たちはゆっくり考えてみよう。
友へ (高木仁三郎からの最後のメッセージ)
「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会のためのあらかじめのメッセージ」と名付けますが、このメッセージです。私は大げさな葬式のようなことはやらないでほしい。もし皆にその気があるなら「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。幸いにして私は、ライトライブリフット賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うべきものとしての受賞でした。残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向かっての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
いつまでも皆さんとともに
高木仁三郎『世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ』
追記
心残りなのは、除染すべし-避難・疎開―除染はできない、どれかという問題である。8月5日の国会での児玉龍彦さんの爆弾提言以来、一転して政府・役所・政治家は、気楽に<除染>と叫ぶようになってきている。だが、小出裕章さんは一貫して、除染はできない と言い続けているその意味・意図はどこにあるのか。児玉さんと小出さんの<除染>是非をめぐる違いである。ネット上で小出さんの見解は→ <「ざまあみやがれい 」(小出裕章~除染はできない)>でも ひっくりかえして熟読すればよいのだが、ここではその余裕がない。ぜひ自分でネットを開き、確かめていただきたい。
●やはり、この際どうしてもつけ加えておきたいことがある。ぜひ、ご覧になっていただきたい小出裕章さんの動画である。朝日ニュースターpresents岩井俊二監督ドキュメンタリー「friends after 3.11」である。
<不思議な感覚で目がさえてくる。そこに、新しい場が見えてくるから、ほんとうに不思議だ。><高校生の頃「スワロウテイル」を見た時と同じ感覚だ。>
この動画で小出さんは語る。「もし私がもう一度、人生を生きられたら、この仕事のためなら戻ってきます。・・・。」インタビューが終わったあと、聞き手の松田美由紀さんが泣いた。もらい泣きしてしまった。>http://iwaiff.com/201110/jp/friends _after_3.11movie_koide.htmlもうひとつ、読んでもらいたい小出裕章さんの講演記録がある。7月23日、堅田九条の会例会・大津市での講演会での記録だ。
小出裕章「原爆も原発も同じ!憲法九条違反だ!」である。http://qc.sanpal.co.jp/info/1339/
●おまけに参考文献
ちきゅう座
「原爆から原発、原発から原爆」の轍を繰り返さず、放射線汚染大国で生き抜く、新たな想像力を!加藤哲郎・ネチズンカレッジ2011.10.1
「原爆神話からの解放と核抑止論の克服―ヒロシマ、ナガサキからフクシマへ」木村朗(きむらあきら):鹿児島大学 *本稿はアジア記者クラブ7月例会での報告をもとにしたもの
週刊新潮2月16日号【特別読物】CIA「政界裏工作」ファイル発見!
ポダムと呼ばれた「正力松太郎」CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎 早稲田大学 有馬哲夫
「原発と権力」山岡淳一郎著 ちくま新書
武田邦彦 2015年放射能クライシス 小学館
◆ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」
◆ドイツTV「Heute Show 「犯罪会社東電」
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