終わりの終わりは今はじまったばかり

終わりの終わりは今始ったばかりーその 五 結び 2011年10月12日 (水曜日)

2011年10月12日 (水曜日)

終わりの終わりは今始ったばかりーその 五 結び

         
 小出裕章「放射能で汚れた世界で私たち自身が生きるしかない。そういう時代に入った。そういう世界に変わったんだと、みなさんにも是非、認識していただきたい」(2011・9・10 大阪)
放射能汚染といえば、東北・関東のことだとして。西日本や南日本に住む人は他人事と感じることもあろう。しかし。フクシマから出る死の灰はそうなのであろうか。

◆ スイス気象台 拡散予報⇒
http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/
weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html
◆「フクイチ」風向きマップ
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/weather/gpv/wind/


 【ブナ林便り】にも載せてある上記ふたつの資料は毎時更新される。
ぜひ、あなたの地域を探してみてください。
私の知人でも長野の人と山口の人 それぞれ関東にすむものと比べると温度差を感じる。

8月15日、大文字の焚き火が問題になったとき、小出裕章さんはMBSで「福島から京都に放射能が飛んで来てることに怒ってほしかった」と語っている。私のブナ林では大事なサイトとして、原子力学者の武田邦彦さんと小出裕章さんの大体毎日あるレクチュアーを読むことにしている。
8月9日種まきジャーナルで小出裕章さんはこう語っている。
「広島原爆がばらまいた核分裂生成物、その中の代表的なものがセシウム137という核分裂生成物ですが、そのセシウム137の1000発分を越えるセシウム137を福島第一原発の事故ですでに大気中にばらまかれたのです。そして今12万トンの汚染水として、多分それを越えるものがどうなっているのか?・・・1号機・2号機・3号機合わせて広島原爆の4000発分に相当するぐらいの核分裂生成物が炉心のなかにあったのです。そのうちわずかに100発とか200発或いは300発と私はいっているわけですが、まだまだ大量の放射能は閉じ込められた形でのこっている。原子炉がこれ以上溶ければこれから10倍のものがでてくるわけです。>

9月28日、NYタイムズ電子版が報ずるところでは、チェルノブイリ事故による黒海の汚染が最大約1000ベクレル/立方メートルだったのに対して、フクシマによる太平洋沿岸の汚染は10万ベクレル/立方メートルに達していることが、米国のウッズ・ホール海洋研究所のケン・べセラー研究員の調査で明らかになったという。べセラー研究員はタイムズ紙に語った。
<私たちは億ベクレルという数字も見ています。私たちは史上最大の放射能の海洋放出であると分ったわけです。私たちは実際、どれだけのものが放出されているか、依然として分っていないのです。> 
仮設としては、地下水が汚染され、太平洋をなお汚染していると考えられるという。

 2011年3月11日以降起こっていることは、実に<史上空前の大地・大気・地下水そして海洋汚染>という事実であり、そういう事故をかつてヒロシマ・ナガサキを自ら体験した日本・日本人がそれから66年しか経たないときに引き起こしたのである。
<世界には400基を超える原子力発電所があり、アメリカ104基、フランス59基、日本55基、ロシア27基、そしてドイツ17基などが主要な国の原子炉の基数である。
このうち、「震度6の地震と津波などの海洋からの打撃」を受ける可能性のあるところに建設されているのは日本の原発だけであり、地震という点では台湾、アメリカ、アルバニアなどの数基の原発があり、日本のように巨大地震と津波に頻繁に遭遇することはないと考えられる。
 従って、日本の原発は「地震津波の頻発地域で運転を継続している世界でも特殊な原発群」ということができる。それにも関わらず、福島第一原子力発電所の1号機が「アメリカで設計された」とされたことや、福島原発事故後、九州の玄海原発の再開問題で「日本の原発の再開に当たってはヨーロッパで用いられているストレステストを経ることを条件とする」とされたのは、日本の原発の独自性に関する錯覚があると考えられる。原発の原型は1942年にエンリコ・フェルミがシカゴ大学で成功した時のものであり、その後、アメリカ、イギリスなどで初期の開発が行われてきたこともあって、日本よりアメリカやヨーロッパの方が原子力の安全技術については上位にあり、従って、欧米の設計や安全指針を参考にするということが長く行われてきた。筆者が原子力関係の会議に出ると、海外での会議の結果が報告され、その時に「海外ではこのように進んだ安全に関する研究が進んでいるので、日本も早く取り入れる必要がある」というのが基本的な論調であった。
しかし、日本における原発事故の最大の危険要素は地震や津波であり、日本ではスリーマイル島およびチェルノブイリのように運転操作のミスなどの運転上の危険性は低い。
従って、日本の原発の安全性を保つためには、「世界には地震にたいする安全技術はない」という認識のもとに日本が独創的な安全技術を創成していかなければならなかった。
 事実、2007年の石川県志賀原発、新潟県柏崎刈羽原発が震度6の地震で破壊し、2011年には宮城県女川原発、福島県福島第二原発が震度6の地震で破壊した。さらに2011年の同じ東北大震災で、青森県東通原発、福島県福島第一原発、そして茨城県東海第二原発が全電源を失い、原子炉は崩壊熱で温度制御が不可能になった。このうち、「防潮堤を津波が越えたため」とされるのは福島第一原発だけで、他の2つの原発は津波が防潮堤を超えていない。そして爆発したのは福島第一だけであるが、東海第二は爆発寸前まで進んだ。つまり、世界の原子力発電で「震度6の地震に耐えたものはまだ存在せず、原子力発電所単位で言えば100%の原発が破壊されている。全部で7発電所が危機に陥り、そのうち3発電所が全電源を失っている。日本の報道の偏向で国民ばかりではなく専門家もこの事実は十分に認識していない。」武田邦彦・9月2日。
 
さて、9月26日に武田邦彦さんが、「原発事故6ヶ月と将来―生活篇」で語っている6ヶ月のふりかえり・まとめに耳を傾けよう。
<今度の原発事故を「生活」の面から見ると、最初からボタンの掛け違いでした。政府の中枢部や東大教授が「どうしたら国民を被曝から守るか」ということを考えれば、気象庁が風向きを出し、文科省がSPEEDIを公開し、避難用のバスを手配し、速やかに国民を避難させ、公務員とボランティアを組織して除染作業に当たることはきわめて容易だったのです。その後、本来なら子供を守るために必死になるはずの文科大臣が「20ミリ(400回のレントゲン)まで我慢しろ」と言い、教育委員会がそれに追従するに至って、国民は自衛に切りかえました。その中でもお母さんの動きが速かったこと、男性は「ばかやろうおじさん」に代表されるように、子供を被曝させる側に立ちました。
 4月は、3月に漏れた放射性物質が風に流されて3方向にながれ、まだ空気中に飛んでいました。この頃、空気中の放射性物質が家庭の中に入り込んだのですが、政府の誤報もあって、お母さんは「家の中を拭く」ということに思い至りませんでした。そこで私は「粒がある」、「花粉のようなものだ」、「水拭きが有効だ」、「赤い粉がある」、さらには「悪い奴がそこにいるのだ」と繰り返し、お母さんは床や壁を拭いてくれました。それによって室内の放射線量は平均して3分の1ぐらいになり、子供たちの被曝量も3分の1になったのです。中には芝生をはいだり、家具を捨てたりした人もおられますが、なにしろ放射性物質を身の回りから少しでものける必要がある時期でした。今でも基本的には変わっていませんが、4月から5月にかけて、専門家や自治体が「除染しなければならない」と指導してくれれば、日本人の総被曝量はかなり減ったでしょう。私が個人で呼びかけても限界がありますし、自治体が「何もしなくても良い」と繰り返したのは法律違反でもありました。5月に入ると、放射性物質は地面に落ち、私は「お子さんを外出させるときには手を引かずにだっこして」と呼びかけました。浅草の空間線量が0.2マイクロまで落ちても、地面は10倍もあったからです。それと同時に地面に降った放射性物質は、野菜を汚し、水道に検出されるようになりました。
 6月になってもまだ自治体は「1年100ミリでも健康に影響がない。1年1ミリというがどの法律に書いてあるのか!」と市民を罵倒していました。もしかすると半減期が8日のヨウ素が減少するまで頑張る(市民を被曝させる)計画だったのかも知れません。7月、8月になって放射性物質は地面に落ち、ホットスポットも明らかになり、ようやく法律も理解され始めました。今では、1年1ミリが法律の規定であり、他のものは政府が非難や除染をしたくないから決めた値であることが判ってきました。そして半年たって私たちは子供を守る長い旅に出ようとしています。原子力をやらなくても日本のエネルギーに問題は無かったのですが、私たち大人(特に私のような原子力に関係した人)の責任は重たいのですが、その失敗を子供たちに負わせることはできません。>

 史上空前の時代―非日常が日常と化した日々 少なくとも今現在、私の目から見ると、戦争よりひどいことが進行していると思う。福島で。
そのことにしかし、ほとんどの人が気がついていない。
小出裕章さん、映画監督岩井俊二に語る、10月2日。
以下、すこし、殆ど気づいていない状況を小出裕章さんのことばで列挙してみようか。
3.11から6ヶ月経って。


◆ 安全な被爆(つまり放射能は)は存在しない。
◆放射能は日本全土(沖縄にも)降っている、世界そして海洋いずこにも。
◆原発がやめられない最大の理由は核をもちつづけたいことか。
◆<日本に住んでいる人々は1年間に1ミリシーベルト以上の被爆をしてはいけないし、させてはいけない>という一度決めた法をいとも安易につりあげてしまう日本は法治国家なのか?
◆汚染の程度はわかっている。その汚染程度、範囲を隠そうという作戦を取っている東電・政府?
◆汚染はひろがり、浸透しつつある。全面的な完全な除染というのは不可能だ。
◆森林や田畑があたかも除染できるかのように言うことが間違え。
◆本当は、もつともっと深刻な汚染なんだということを国はいわなければならぬ。
◆約100倍も汚染が強いゴミもそこらに埋めてしまうしかないと言い出している。
◆1ミリシーベルト超えて、20ミリシーベルト超えない(緊急時避難準備区域)というのは、私のような放射線業務従事者という特殊な人間だけに許されてきた基準。これから避難を解除する地域は、子どもも含めて私のような放射線業務従事者になれというに等しいです。
◆もし20ミリシーベルトまで許すとすれば、80人が癌で死ぬということになります。 そしてゼロ歳の赤ん坊は平均的な大人に、平均的な人間に比べて4倍、危険がありますので、ゼロ歳の赤ん坊は20ミリシーべルトの被爆をさせられてしまうと、1万人のうち320人の赤ん坊がやがて癌で死ぬということになります。
◆いま生きている日本人は誰一人、廃炉の終わりを見ることはないのではないか。
◆汚染食品は責任ある大人が食べるという提言とその理由。
◆反原発の闘いと沖縄の闘いは同じだ。
◆1.2.3号機あわせれば、広島原爆4000発分相当の核分裂生成物。

最近の南ドイツ新聞は国連での野田首相演説を酷評していることを在独の梶村さんが伝えている。(大沼安史の個人新聞・机の上の空)
梶村太一郎さんのベルリン報告:「南ドイツ新聞」痛烈論評 野田国連演説
→ http://tkajimura.blogspot.com/ 
9月24日付:「転換ではない転換(Eine Wende, die keine ist)」
クリストフ・ナイドハルト特派員
……日本のエリートにはイデオロギーはなく、話し相手によってさまざまな意見も容認する。彼らのたったひとつの目的は、権力とステータスの保持である。このためには誰が何を考えているかは重要ではなく、彼が誰と結びついているかが重要なのだ。これに加えて大事なのは部外者がこのオルガルヒー(寡占制度)を分裂させないことである。野田がいまやっていることはこのエリートをなだめようとしているのである。彼はこれを「安定をつくる」と称している。菅や鉢呂のような口先だけではない立場を表明する人たちはまさにこのじゃまをすることになるのである。……
 梶村さん;第12回(7月15日)で紹介した同紙の「永田町のノミのサーカス」の続きですね。今回はさらに具体的に、原発ロビーに金で買われている政治家だけでなく、それとぐるになっているメディアもまともに突っ込んで批判しています。日本の戦後政治体制の非民主性を鋭く突いているといえるでしょう。>終わりの終わりは今始まったばかり。新たな始まりの胎動もはじまったばかり(911)。先達 2000年に亡くなられた高木仁三郎さんの最後のメッセージに再度耳を傾け、私たちはゆっくり考えてみよう。

            友へ (高木仁三郎からの最後のメッセージ)
「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会のためのあらかじめのメッセージ」と名付けますが、このメッセージです。私は大げさな葬式のようなことはやらないでほしい。もし皆にその気があるなら「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。幸いにして私は、ライトライブリフット賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うべきものとしての受賞でした。残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向かっての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
いつまでも皆さんとともに
高木仁三郎『世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ』


追記
 心残りなのは、除染すべし-避難・疎開―除染はできない、どれかという問題である。8月5日の国会での児玉龍彦さんの爆弾提言以来、一転して政府・役所・政治家は、気楽に<除染>と叫ぶようになってきている。だが、小出裕章さんは一貫して、除染はできない と言い続けているその意味・意図はどこにあるのか。児玉さんと小出さんの<除染>是非をめぐる違いである。ネット上で小出さんの見解は→ <「ざまあみやがれい 」(小出裕章~除染はできない)>でも ひっくりかえして熟読すればよいのだが、ここではその余裕がない。ぜひ自分でネットを開き、確かめていただきたい。

●やはり、この際どうしてもつけ加えておきたいことがある。ぜひ、ご覧になっていただきたい小出裕章さんの動画である。朝日ニュースターpresents岩井俊二監督ドキュメンタリー「friends after 3.11」である。
<不思議な感覚で目がさえてくる。そこに、新しい場が見えてくるから、ほんとうに不思議だ。><高校生の頃「スワロウテイル」を見た時と同じ感覚だ。>
この動画で小出さんは語る。「もし私がもう一度、人生を生きられたら、この仕事のためなら戻ってきます。・・・。」インタビューが終わったあと、聞き手の松田美由紀さんが泣いた。もらい泣きしてしまった。>http://iwaiff.com/201110/jp/friends _after_3.11movie_koide.htmlもうひとつ、読んでもらいたい小出裕章さんの講演記録がある。7月23日、堅田九条の会例会・大津市での講演会での記録だ。
小出裕章「原爆も原発も同じ!憲法九条違反だ!」である。http://qc.sanpal.co.jp/info/1339/

●おまけに参考文献
ちきゅう座
「原爆から原発、原発から原爆」の轍を繰り返さず、放射線汚染大国で生き抜く、新たな想像力を!加藤哲郎・ネチズンカレッジ2011.10.1
「原爆神話からの解放と核抑止論の克服―ヒロシマ、ナガサキからフクシマへ」木村朗(きむらあきら):鹿児島大学 *本稿はアジア記者クラブ7月例会での報告をもとにしたもの
週刊新潮2月16日号【特別読物】CIA「政界裏工作」ファイル発見!
ポダムと呼ばれた「正力松太郎」CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎  早稲田大学 有馬哲夫
原発と権力」山岡淳一郎著 ちくま新書
武田邦彦 2015年放射能クライシス 小学館
◆ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態
◆ドイツTV「Heute Show 「犯罪会社東電」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)後半 2011年9月14日 (水曜日)

2011年9月14日 (水曜日)

終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)後半



 祝島の会での話し合いの後半は、島民による祝島の原発反対運動の起きた理由である。島民の山戸孝さんに加わってもらい、祝島のみなさんが抱えている問題について、高齢の方々は闘いの中で生きていると言っても過言ではない状況で、その歴史がどういうものだったかが語られる。山戸さんがまず語り始める。


山戸 
「30年の闘いのうち10年しか知らない人間が話すのも、すごい怖いんです(笑)。もし間違っていたら是非是非突っ込んでください(と会場に向って言う)。始まりは1982年ですね。僕は当時5歳だったので何も知らないんですけれども、中国電力が山口県上関町四代田ノ浦に原子力発電所の建設計画を発表したところからです。ほんとうはその少し前から始まっていたようなんです。聞いた話では、それよりも前から電力会社の人かどうかは知りませんが。「電力教室」みたいなことを祝島でやったり、工作のような下地つくりみたいなことをしようとしていたとか。」

小林
 「ちょっと事前に聞いた話では、福島の一関の人ですか、原発に働きに行っていた人たちが、福島の原子力発電所の現場状況の酷さを体験されて、上関町に原発を建てるのはやめたほうがいい、というのがことの始まりとか? 今回の福島の原発事故と今の祝島との状況を思うと、すごい歴史的な符合を感じるエピソードがありますが。」

山戸
「僕はヒロシマ、ナガサキの原爆体験も根底にあるんだと思います。島にも、原爆が落ちた後に広島市内に入って被爆した方が生活されています。それに上関町に原発建設の話が持ち上がったときに、原子力発電所で働いて被爆して被爆手帳を持っていらっしゃる方たちが、原発というのは名前を知っても中身を知らない僕たちにその内容を話してくださったことは大きいことだったのではないかと思います。あとやっぱり、漁師さんですね。見てわかる通り島なので海に囲まれています。漁業と農業とで生きている人たちで、祝島はしかも網漁ではなく、一本釣りの漁師さんが多いんです。釣った魚を市場に売って暮らしを立てていますが、それだけじゃなくて遊漁もやっています。」

山戸 
「広島からやってきたようなお客さんを船に乗せて釣りをさせてあげるというようなある種観光サービスのような漁業形態です。とにかく「原発の前にある海で獲れた魚と、そうでない海で獲れた魚が同じか」って言われたら、いくら電力会社の人に魚に影響はないといわれたとしても、そんなことは常識的に考えてもありえないと思いますよ。そういったところから、原発に反対するというのが大きな理由ですね。私も島に帰ってきて、農業と漁業(海藻を獲りますけど)、海と山で喰っていこうと思ったら、原発はあるよりないほうがマシなんてレベルじゃなくて、あってはいけないものと思いました。原発の安全性以前に海が汚れるし、獲ったものが正当に評価されなくなってしまう。そうなると生きていけなくなる。自分が生きていくために原発は作らせてはいけないんだと思っています。」

小林
 「もう周知のことだと思いますが、原発を建てる場所は、つねに過疎というか経済的に貧しいとみなされるような場所だったりしますね。映画『ミツバチの羽音と地球の回転』のワンシーンに中国電力の人が拡声器で「この貧しい島で、これからどうやって暮らしていきますか?」みたいなことを言ったりする場面があります。そういう弱いところにつけこむという方法というか流れが、社会にはあると思うんです。」

山戸 
「聞いた話になりますけど、両親が反対運動をやっていて顔や名前が出ると誰だかわかるじゃないですか。それで子どもが勤めている職場に圧力がかかって、いきなり社長に呼び出されて何かと思ったら「おまえの親がやっている(原発反対)運動をやめさせられんか」と言われたと。ニュースの報道でも、祝島の反対運動を取り上げるなら。島民たちの生き方やその背景にあるものも一緒に取り上げなきゃわかってもらえないことなのに、運動の一部だけを切り取ったような内容であったり。しかも「この問題は祝島のことだけで、他のみなさんには関係ありませんよ」的なニュアンス。しかもその報道のCMに「原発は安心ですよ」と流れたり。・・・ほんとうにあれはお金の力ですよね。あともうひとつ、選挙で実際にお金が原発推進派に流れる。・・・よく聞く話かと思うんですけどね。前々回の町長選挙のときに、対抗の人が当選しました。その人の後援会の代表が推進派で、後々になって買収で選挙管理違法で逮捕されたという。その投票すら正当であったとは思えないんですけど。そうやって20年、30年ずっと力やお金で押さえ込まれて世論や評判というのが固まってしまったのが、今の状況なんだとつくづく思います。そういうのがなかなか変わらないのが口惜しいですね。」

小林 
「ほんとうに、原発ってお金まみれで。力づくで1回通しちゃえば、前例があるから2号機・3号機って作りやすい環境になってしまうと思うんです。そういうのは日本が国として、ほんとうに弱いところですね。その結果が、地震列島なのに50を越える原発が当たり前に建ってしまった。もう一度ここで小出先生にお聞きしたいです。小出先生は本来科学者です。科学者は何のために科学をやっているのか、根っこの部分がわからないでやっていると思われる言動をとられる方も目立ちます。小出先生は、科学を社会とつなげて話をしてくれていると思いますが、社会の動きと原発という科学について、話していただけないでしょうか。」

小出 
「学者というとみなさんは清廉潔白、高潔な人間と思われてしまうようですが、そんなことは全然ありません。みんな同じで、金も地位もほしいのです。それを願っている人がほとんどなんですね。ですから、日本全体が金と力で動いているときは、学者も同じようにそこに吸い寄せられます。当たり前にそうなっていく。でも、そんなことでいいとは私には思えなかった。原子力発電は、社会のなかでも貧しくて生きていくのに困難なようなところばかりを狙って、そこに金を落として納得させていくということでここまで来たんだと思います。去年、鹿児島県の川内市に行きまして、ここで原子力発電所を増設するという議会が開かれて、「やってはいけない」という意見を述べました。そのときその場には「やりたい」という意見もあって、その人たちはただひとつ、原発を建ててもらって地域振興をするという気持ちなのです。ただお金がほしいだけです。それだけなんです。それで一度、金をもらってしまったら後々ずっとその金にすがるしかない。ほとんど麻薬のようなもので、その麻薬(お金)が切れたら、次の麻薬(金)をねだるしかなくなるんです。」

小出 
「要するに今の社会は、「金」がすべての尺度になってしまっていると思います。金と力が全てで、それを使える一部の人たちがブルドーザーのように社会を押し流し動かしてしまう。私は学者ですから、学者としてしかできないことがあるんですが、先日、衆議院に呼ばれ話をする機会がありました。その最後にガンジーの言葉を伝えました。ガンジーというのはインドの独立を進めた運動家です。彼は7つの社会的な罪があると残しています。その一つは「理念なき政治」----ひたすら金、金で、目先のことでみんなを潰していくということですね。次に「道徳なき商業」----これも金さえあればいいということ。
中国電力も東京電力も道徳がありません。それから「人間性なき科学」----学者は、専門バカになってしまって、社会のことなどわからずに自分の小さな世界だけにこだわる。それでいてポストや金を狙うという学者ばかりになってしまって腐ってしまったように私には見えます。私が東北大学の学生だったころに、女川発電所の原子力発電所建設の反対運動に参加していたことがあります。女川は大変豊かな海でした。漁村へビラを持って一軒一軒配って歩いていたんですけれでも、中には賛成の人もいて話さえさせてもらえなかった。でもだんだんと賛成の人とも話をさせてもらえるようになったんですね。その中で一人の漁師さんが「もう海はだめだ」と言いました。「仕事が辛い」と。自分の息子には町に出て働いてほしいので、賛成なんだと言っていました。でもむしろ町の方がだめで海というのは豊かなもので、永遠に続くものです。海さえ守っていけば生きていけるもの。そういうものを守るような仕組み、海を守って生活できるような仕組みを政治という場でちゃんと考えていく必要があるんだろうなと思いました。一人ひとりみんなが絡んで政治も産業も科学もあるんでしょう。」小さな地域できちんと生きていくこと。

小林 
「今回訪ねて、初めてデモ活動を見させてもらいました。もちろん鎌仲監督の映画でも見ましたが、どうしてあそこまですごく強い意志を持てるのか。女性にもかかわらず勇ましくもたくましく映りました。そして素晴らしい団結力だと思いました。孝くんは、こうした女性たちの姿を小さいころから普通に見てきたんでしょう?

山戸 
はい。毎週月曜日の夕方6時半から島でデモをやっていて、現時点で1096回なんですよ、凄いですよね?(笑)ギネスに申請しようっていう話もあるんですよ。今、会場にいる女性たちの力です。でも最初はデモのつもりはなかったんですよね。「『原発、わたしら反対じろ。でも島の中には『賛成』と言う人もおるかもしれん。そういう人たちに訴えるためにわたしらは『原発反対』ってやさしく言いよる』と、30人とか40人くらいで歩き始めたらしいんですよ。で、島の中を歩きながら「原発反対」って言っていたらしいんですが、島の駐在さんに止められて。「何しよる」「いやぁ、私ら原発反対って言ってるだけじゃ」「そりゃデモになるけ、ちゃんと申請してもらわんと困る」って言われて。「でもデモってなんじゃ?」って(笑)。それで申請すれば歩けるならと、申請することにしたんです。けども当時、警察側も申請手続きがいろいろと不慣れで、さらに細かくて。申請書類を出すだけで1日かかったそうなんですよ。みんな畑や漁の仕事を一日潰してやっていたと。今でこそ申請もスムースにできますが最初のころを思うと始めたときの「やろう」というエネルギーはすごいと思うんです。お世辞じゃなく、かっこいいなって思います。   

小林 
一人ひとりにこの世界に対する責任があると僕は考えるので、人のせいにしていてもしょうがないだろうと。「人のせいにするのはかっこわるい」と公言して、行動しようと意識してこれまでやってきたのですけれど、この場にいらっしゃる島の人たちは、ほんとうに人のせいにしない・・・できなかったとも思いますが、頭が下がる思いです。デモという行動を続けられてきたからこそで、このデモは、いまだに上関町に原発を作らせていない抵抗の証だと思います。僕は正直言うと、闘うということがどういうことなんだろうか、果たしてどんな効果があるのだろうかと少し懐疑的に思っていたところがありました。批判したり攻撃したりすることが、また別の攻撃を生むのではないかと思っていたんですよね。でも批判のための行動ではなく、自分たちが足をつけているかどうかの確認、検証として、ずっと続けていけば市民社会というなかでのデモンストレーションという活動は、ほんとうに意味のある必要なことなんだと思いました。

山戸 
デモの話でいうなら、祝島の人がずっとやってきたことが、やっと周りに理解されつつあります。その中で原発推進派の人たちは代替案を出してくるんですけど、「反対」というのは、原発を建てるのを「反対」なんですね。それは、お金がどうのとかエネルギーがどうのっていうレベルではなくて、生きていくうえで命をおびやかすものの存在を拒否する、嫌だということなんです。

小林 
ほんとうだよね。

山戸 
福島の原発事故を他人事として見るのではなくて、これだけ日本に原発があるということは自分の身に降りかかることと想像力を持って、原発のことを見てほしいです。上関原発の場合、祝島からすれば、ほんとうに目の前に建ってしまう。毎朝、朝日がのぼってくる場所に原発ができると...と思うから反対なんですけど、推進派の中には「田ノ浦だからいいよ、でも自分の目の前に建つなら反対する」という声も聞いたりします。でも原発事故を見ると目の前とか関係ない、背中だろうが正面だろうが被害は一緒なんだとわかる。そのうえで、生きていくうえで何が必要なのかを考えたときに、自然エネルギー。自然エネルギーは原発の代替案というのではなくて、地域が自立していくために必要なものと感じます。僕が祝島にいて安心なのは、食べ物がおいしいということと餓える心配がないということです。海や山でがんばって働ければ、少なくとも餓える心配はないんですよ。同時にエネルギーも自分たちができる範囲で自給できると、おそらく小さな地域がきちんと生きていくことにつながるんだろうと思います。自立して生きていく方法論は、都市部には都市部であるんだと思います。国や電力会社みたいな大きな権力と闘ってきて、苦しいんですよね、やっぱり。
デモをはじめ議会や県庁へ行って、そのたびに何百人という人が自分の仕事の手を止めて休んで抗議にいくのは容易いことではない。この続けていくエネルギーをなんとか原発のない未来につなげたいですね。将来「あの(反対運動の)おかげで、(原発が建たなかった)今があるね」ということの礫になればと望みます。

小林 
経済大国とかGNPが2位から転落とか・・・日本が世界に示すような経済的な役割いうのは、とっくに終わっているんですよね。たくさん作って売って、使って捨ててということをするために必要なエネルギーが原子力発電ならば、それはもう必要なくなる。必要なものを要る分だけ作って、必要な分だけ使うという循環。そのために切磋琢磨していい物を作る、そういう社会にいよいよなっていかないと、と思う。
それに、「世界がどうであれ日本から原発を止めようよ」と言いたい。小出先生は今すぐやめようと言っていますが、僕はそこまで言うにはもうちょっと勉強が必要なんですけどね。日本が先駆けて言えるように。そう思うと30年前から「原発はいらない」と言い続けてきたこの祝島は、特別な場所なのかもしれないなと思っています。初めて来てこんなことを言うのは僭越ですが、今回こうしてやりとりさせてもらって、この島が世界中の「脱原発」の中心地になるようなイメージを僕個人としては持ちました。なので、今後ともよろしくお願いいたします。」
鼎談後は、小出先生に祝島の方々からの質問が。貴重な意見交換会となった
――

(男性)
福島原発の事故から2カ月以上経っていますが、作業員の方々が被ばくしながら作業するのも大変だろうと思います。作業員は現在どのくらいいて、これからの人員のやりくりなどはどうなるんでしょうか。被ばくということなども含めて教えてください。

小出 
被ばくというのはあらゆる意味で危険です。微量であっても危険です。だから日本の国も被ばくしていい限度を法律で決めているわけです。みなさんの場合は「1年間に1ミリシーベルト以上を被ばくしてはいけません」となっています。これは、1ミリシーベルト以上被ばくすると危険という考えに基づいて決められたのです。では私はどうかというと、私は京都大学で原子力について研究しています。放射線があるような場所で働いています。それで給料をもらって、家族と一緒に生活していられるという身分なんですけれども。それで国からは「おまえは給料をもらっているのだから被ばくのほうはガマンしろよ」と(笑)。なので私は「被ばく小出」、とはいえ人間的にはみんな同じなんですけど、これは、みなさんの20倍は被ばくしても仕方がないということなんです。今回、福島の事故を収束させるために作業をしている人たちは被ばくをしながら作業をしています。彼らは本来、私と同じように1年間に20ミリシーベルト以上は危険とされている人たちですけれども、そんなことを言っていては仕事にならないので、彼らについてはいっぺんに「250ミリシーベルトまではいい」ということになりました。この事故を収束させるためになのです。それだけのためだけど仕方がない、ガマンをしなければ仕事にならないということですね。それで汚染の現場に行って、何かしらの仕事をして帰ってきます。それで調べてみたら250ミリシーベルトには達しているわけですから、その人はもう現場には戻れない。そういうことが次々と起きています。詳しい人数は知りませんが、たぶん100人という人が限度に近づいていて、これまでは何百人という人たちが現地で働いて250ミリシーベルトという限度に達してしまい、働けなくなっていると思います。ではどうするかというと、他県の原子力発電所で働いている人たちが次々に送り込まれるようになるのではないかと思います。
でもそれで間に合うのだろうかと私は心配です。この事故処理は、ものすごく長期戦です。これから先「何年」という時間をかけて放射能を閉じ込める作業をないとなりません。作業員の人もできるかどうかわかりません。しかも、現場の作業というのは、誰もができることではなく、特殊技能を持った人でないとできないことです。みなさんは漁師だと思いますが、漁師としての経験、知識、勘があって船上で魚を釣ることができるんだと思います。何もない人を船に乗せたところで魚は釣れませんよね。原発の作業員も同じです。専門的に知っている人に働いてもらいたいのに、ちょっと働いたら被ばく限度量に達してしまう。次に国がやる手段としては、作業できる人がいなくなったら、被ばくの限度量を上げることだと思います。今250を500にするとか。私としてはそういうことは絶対にさせたくないですが、でも作業をする人間は必要なわけです。大変なことです。

山戸 
6年くらい前にフランスのフリージャーナリストが被ばく労働のことで取材に来られました。その人も言っていたのですが、フランスでも失業率が高いために、被ばく労働を若い人がやる。被ばく労働をしつづけて、ある程度やったら体がガタガタになってしまって、原発ですら働けなくなる。もちろんふつうの仕事もできないような体になってしまうけれど、決して公にはならない社会問題だと言ってましたね。福島の事故現場だけでなく、どの地域の原発も、原発そのものがどこかしら弱い人を犠牲にしないと動かないシステムなんだろうと思いました。

(女性)
私は海でひじきや海藻を採って暮らしています。原発事故のニュースを見ていると、毎日放射能汚染が気になります。海洋に広がったり、雨が降れば地中に入り、それが海に注いでいくと思うのですが、放射能が海に流れてしまうと、日本の海産物はどうなってしまうんでしょうか?

小出 
私は海の専門家ではありませんし、食べ物についても詳しくないので、あまり答えにならないと思いますが、海洋汚染については、あまり調査がされていないんですよね。人に関しては年間20ミリシーベルトでガマンしろと。畑や作物、上水下水などについてはあるんですけど、海についてはあまり言われていないんです。でも海洋汚染を調べるには海藻が一番いいんです。なぜなら海藻は魚と違って動けませんから。私は福島をはじめに、ものすごい海洋汚染が茨城、千葉と広がっていくんだろうと思います。祝島まで来るかどうか・・・は定かではありませんが、海は繋がっていますから、全く汚れないということはないかと思います。けれども、福島の海ほどの汚染が祝島で出るということは私はないと思います。みなさんは祝島でひじきを採って、放射能汚染の少ないひじきとして特に子どもたちに食べさせる。安全なひじきを作ることができるのではないかと思います。
(男性) 子供のことで質問があります。学校の校庭で遊べるとか遊べないとか問題がありますが、地場産の野菜を使って給食に出したりしているのは、どれほど影響があるのか全く想像つかないんですけど、いかがなものなのでしょうか。

小出 
さきほど言った年間1ミリシーベルトの規制を厳密に守ろうとすると、福島県全域を無人にしないとならないくらい汚染地域は広がっています。けれども、残念ながら、政府の能力と照らし合わせて現実的にそれができるような状態ではないですね。だから国はなんと言ったかというと、「年間に20ミリシーベルト以上の被ばくをするところだけ避難しろ」としたのです。その中にはもちろん子どももいます。子どもは放射線の感受性が非常に強い。子どもは細胞分裂を繰り返して大きくなっていくので、そういうときに被ばくの影響を受けてしまうと、細胞に受けた被ばくの傷がどんどん拡大していってしまうんです。年齢別に比較すると、赤ん坊は4倍も高いんです。
子供たちに対しては、我々大人はこのような原発を許してきた責任があるわけです。責任のない者を危険にさらすというのは許されないことと思います。そのために私たちは、やるべきことはいくつもあります。そこで汚染された農産物や海産物をどうしたらいいかと思いますか?
(会場から)年寄りに喰わす!(場内笑い)

小出 
そうですよね。私はそう思うんです。電力会社や国に補償してもらうという手もありますが、補償してどうするんですか? 獲った魚や海藻や作った米や野菜を、育てた豚や牛を、捨てればいいんですか?捨てるために漁や農業をしているわけじゃないんですよね。そんなことあり得ないじゃないですか。人はみな食べるために魚を獲り、豚を育てるのであって、お金をもらうためにやっている仕事ではないじゃないですか。みんな捨てちゃうなんてできないですよね。だから、福島県の野菜や海産物は、そして今後広がるであろう汚染された地域の農作物や海産物は、要するに大人が食べるべきなんです。さっきも言ったように、大人は放射線の感受性がどんどん鈍くなります。50歳・60歳になると、平均の1/100くらいになります。だからいいんです。私も含めてそういう年代の人たちは、原発をここまでさせてしまったという責任もあるわけです。映画に“18禁”という規制がありますが、私は食べ物にもその規制をかけるべきだと思いますね。「60禁」とかね。「汚染度の低いものは60歳以上の人は食べてはいけない」というような(笑)。そういう規制をしてもいいのではないかと実は思っているんですけれども、なかなか賛同してくれる人はいません(笑)。

(男性) 
報道などで見る福島の事故のデータは、隠しきれなくなったデータしか公に出していないようにみえるんですが、本当のデータをおおっぴらにすることはないのでしょうか?

小出 
おっしゃる通り、隠しきれなくなったから出しているというのがあると思います。さらにもうひとつ恐ろしいのは、データが取れていないという可能性もあるかもしれない。事故現場の汚染が非常に高く、当事者である東京電力すら何が起きているかわからないということになっているのではないかと想像します。私からしてみると、相当恐ろしいことが今まさに起きているなかで、それは大袈裟ではなく即刻全国の原発を止めていいんじゃないかというほどのものです。ですが、それが正しく日本のみなさんに知れわたっていないのだと思いますし、その中には停電したら困るから原子力発電は必要だと考える人がまだいるということに、たいへん驚かされます。電気が足りるとか足りないとかの問題ではなく、原発は即刻止めるべきです。このような状態になってもなお稼動し続けているというのは、日本という国はほんとうに不思議な国だと思っています。

山戸 
福島事故以前の話なんですけど、前に小出先生が「上関は原発を建てないよ」と言っていたと聞いたことがあります。それは何を根拠に言われたんでしょうか? じつは当時は反対運動そのものも非常に厳しい状況だったものなので。

小出 
ちゃんとした根拠はあって言ったわけではありませんでした。最初、「孝さんが命を奪われそうになったら嫌だと抵抗するのは当たり前で」と言っていましたが、そうなんですよね。私も最初からひたすらそれだけでした。原発は危険だとみんな知っているのに推し進めてきた。東京や都心部の人は電気がほしい、でも原発は危険だから過疎地に押し付ける。私にとっては代替案や妥協策なんて全く興味がなくて、ひたすらダメなものはダメと言い続けてきました。でも勝てなかった。お金の力でみんなを巻き込んでいく歴史でした。でもこの島は違うんです。30年もお金に屈しないで、自分たちの島を自分たちで作っていくという意識に溢れている。だからいくら金で切り崩そうとしても、切り崩されることなく続いてきている。だから私は「上関町に原発はできないだろう」と言ったんですね。いくら向こうがやろうとしても、地域が自立していこうとしていたらできないなと思ったんです。(場内から拍手)

小林 
今日はお集りいただきましてありがとうございました。原発事故については解決できるのかどうかわかりませんが、今後も長い時間をかけて解決すべく当っていかないとならないことと感じています。今回の事故で僕らはもちろん、若いミュージシャンや影響力のある人たちも、発言したり行動を起こしています。これから先もフクシマを見捨てることがないように活動していこうと思います。そしてこの島には、今後の在り方の重要な要因がいっぱいあると思います。微力ではありますが、小出先生のような強力な助っ人と島をつなぎながら、原発がなくなる流れを作っていきたいと思います。
一緒にがんばらせてください。ありがとうございました。 

*資料「小出裕章×山戸孝×小林武史 祝島で語る」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)2011年9月14日 (水曜日)

Forum 高校生新聞より転載


2011年9月14日 (水曜日)

終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)

            
ブナ林便りの序章に次の二項目がある。
◇ 上関原発で揺れる上関町祝島報道特集 
◇ 祝島が問いかけるものウェークアップぷらす 
そして第一章には次の二サイトが置いてある。

祝島島民の会
小出さんがまっとうに生きることと語った瀬戸内の小島
祝島ホームページ
映画『ミツバチの羽音と地球の回転』・映画『祝(ほうり)の島』
2010年に第19回JSC賞を受賞した大久保千津奈さんが撮影したドキュメンタリー映画『祝(ほうり)の島』を購入した。この際、「終わりの終わりは今始まった」をひとまず終える最後に、この山口県上関町祝島と、ここの島民の三十年越しの健気な闘いのことは、どうしても語っておかねばならない。

それには、小出裕章さんが山戸孝・小林武史とともに祝島島民の会に招かれて、島民とともに20世紀メディア研究所の聞き手と語り合った公開対談を紹介するのが適切だと思った。2011年5月29日の催しである。

まず、小出はこう語り出す。
「今日は祝島に来てみなさんから元気をもらいたいと思ってきました。20年ほど前になりますが、私は一度ここに寄せてもらったことがあります。みなさんのデモのお尻にくっついて歩かせてもらったんですね。そのとき、こういう豊かな自然の中でこの自然と寄り添いながら暮らしている人がいるんだと元気をもらって帰った記憶があります。今回も。
 福島原子力発電所の事故以来、なんとも気分がよくなく、元気を分けていただきたい。それだけで来たかったんですが、小林さんと一緒にこんなところに出ること(登壇すること)になってしまったんですが(笑)。

そこで、小林が、「いまが原発推進か脱原発かの分かれ目という大事な局面だ。自分も祝島のことは、鎌仲ひとみさんの映画を見たが、それ以前から祝島のみなさんのことはうかがいたいと思っていた、現在の原発事故については小出先生しかいらっしゃらないので、まず小出先生に原発事故についてお話いただいたら」と、話を切り出す。
小出裕章さんの福島原発事故についての話。
「非常に簡単なことで、原子炉が壊れて放射能が放出されています。そのわけを説明します。原子炉の中の燃料についてどういうイメージをおもちでしょうか? ウランですが、ウランは焼き物――瀬戸物と思っていただいていいです。お茶碗、湯呑みでもお皿でもいいです。その瀬戸物は固くて、なかなか熔かすことができないと思うのですが、その瀬戸物がドロドロに熔けてしまっているという状況です。一般家庭のガスコンロでもそんな温度にならないことはおわかりのことと思います。」
「そういう温度で原子炉が溶け落ちてしまった。これを“メルトダウン”といいます。先日遅すぎる公的発表がありましたが。1号機から3号機まで地震発生直後にメルトダウンしていました。この原子炉は圧力容器の中にあります。この圧力容器は、圧力鍋を想像してください。圧力鍋は鋼鉄で出来ていて、厚さが16cmというたいへん分厚いものなのですが、そこに2800℃を越えたドロドロに溶けた瀬戸物の塊のようなものが落ちました。けれども鋼鉄というのは1400~1500℃で熔けてしまうので、熔けた瀬戸物の塊はその底を抜けて落ちて行っています。その先には同じように鋼鉄で出来た格納容器があります。そこに熔けた瀬戸物が落ちて、その鋼鉄も熔かして穴を開けてさらに落ちて行く。これを“メルト・スルー”――熔けたものが突き抜けていくという意味です。」「こうしたことが、福島の原子力発電所で、現在進行形で起きています(注:5月29日時点で)。これが4つもあります。その先は、地面に熔けたウランがもぐりこむことになります。それがやがて地下水に混ざって海へ注がれ・・・と、汚染をひろげていくことになります。政府や東京電力は、安定化に向かっているとか収束の方へ向いているとして、「5~6ヶ月の間に安定化させる」と発表しましたが、とうていそんな短い時間で出来ることではありません。これから何年にもわたって放射能との闘いをしないとならない状況です。そういう状態になっています。『チャイナ・シンドローム』という世界・・・・・。」
「人類が未知の、いまだ経験したことがないようなことが起きています。なので、溶けた瀬戸物が―ウランのことですが―地下水に接触したときにどんな現象が起きるのかは、正直わかりません。水蒸気爆発が起こる可能性があるかもしれません。その爆発が起きるとまた放射能が大量にまき散らされることにつながりかねません。仮に爆発が起きなかったとしても。水は100℃になれば沸騰するので、接触したときに沸騰しながら水分が失われていきます。その場所は、水分が蒸発してしまい、乾燥した土みたいになってしまう。そしてマグマのように熔けた土が汚染することも想像できます。いずれにしても地下に入ってしまうと、人間に打つ手がありませんので、汚染が広がるのをそれに任せるままになるかと思います。・・・多分何メートルという深さまで落ちて、そこで周りのもの―恐らく水分など―に冷やされながら固まるのだろうと私は思います。・・・もともとは瀬戸物のようなものが熔けたものです。地面に接触して地面を熔かし、地中深く落ちながら放熱もするので冷えてどこかで固まります。放射能をばら撒きながら固まっていきます。(「落ちて行っている燃料はどれぐらいの大きさなのですか?」という質問に答えて)ウランの量は約100トンです。・・・100トンという巨大な瀬戸物の熔けたものが落ちて行っていると想像してください。」

以上で 原発事故についての小出さんの話は終わるのだが、その後 ほかの機会に小出さんが原発事故について話された大事な点については祝島の会の紹介のあとで付け足したい。 
(「終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)前半」を終了、次回の「後半」に続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終わりの終わりは今始まったばかり(その三)2011年8月17日 (水曜日)

FORUM高校生新聞より転載

2011年8月17日 (水曜日)

終わりの終わりは今始まったばかり(その三) 

          吉田 悟郎(東京:旧制成城高校新聞部OB)

できうれば総て隠し通さむものか国家といふは
畏友目良誠二郎、ふるさとフクシマを思い歌ふ

3.11からすでに5ヶ月すぎ、事故の収束どころか避難民多数という状況も残念ながら何も変わっていない。
3.11で日本は変わった.変わらざるをえない時代を迎えた。

 東京圏に住むものにとっては日常に変化はなく前と変わらない今があるように思えるが、人々の心のうちは確実に変わってきている。だれもが巨大地震国に住む恐ろしさを思い知り、原発安全神話など信じなくなった。新聞・テレビや政府・国のいうこと、発表することを信じなくなった。放射線リスク・放射能汚染は「普遍的人道犯罪」(欧州放射線リスク委員会第4章「放射線リスクと倫理原理」)とはまだ自覚するまでに至っていないが、このまま東電や保安院・経産省・政府が国策原発で責任逃れすることは許せないという空気は国民の間にみなぎっていよう。

 この5ヶ月の間に国民はいろいろなことに怒り、多くを学び始めたと思う。私が素晴らしいと思ったことの二三をあげてみたい。最近のことで言えば多摩市長阿部祐行さんだ。「3月23日まで子どもは長袖・マスク・外遊び控えろ。帰宅したらシャワーを浴びよ」と通達したという。「なぜそのような通達を」と問うと、「高木仁三郎氏の著作を読み込んでいた」と。原発事故がどういうことか、その時行政責任者はまずなにをなすべきかをご存知だったのである。文科相・文科省の取った態度といかに違うか。女性ばかりではなく男性の「感激した」「自分の自治体の長には期待できなかたことだ」「国の指示など待たずに自治体の長がやるべきことの稀なる先鞭をしめしてくれた」など感動のツイッターが相次いだ。多摩市長の通達は教育委員会通達の形で行われている。一方、福島の高校教師が生徒の健康と安全を願い、同じような指導を行ったため、「見えない蛇に噛まれて」職場を追われ一家あげて北海道に移住したという実例が伝えられている。次の世代の子どもたちに安心できるように、大人たちは大変な心づかいを3.11からしてきているのである。

 次は、東京大学放射線センター長の児玉龍彦さんが7月27日に参議院厚生労働委員会に参考人として出席して放射線汚染について爆弾発言と怒りを訴えたニュースである。これは動画で放映され、書き起こしもされて全文読めるし、参議院厚生労働委の動画記録にも収録されている。この児玉龍彦教授の参議院委員会での15分かのスピーチは放映時から大変な評判で、池田香代子さんの「泣きました」はじめ未だにツイッターをにぎわせている。メディアは例によってすぐには無視したが、英仏独語に訳され世界に拡散したのでぼつぼつ無視の姿勢を変えてきている。スピーチの一部を引用する。
 「・・・政府と東電は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるかはっきりした報告は全くされておりません。そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基にして計算してみますと、熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます。さらに恐るべきことにはこれまでの治験で原爆による放射線の残存量と原発から放出されたものの放射線の残存量は一年に至って原爆が1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。つまり、今回の福島原発の問題はチェルブイリと同様、原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したということがまず考える前提になります。そうしますと、我々システム生物学というシステム論的にものを見るやりかたでやっているんですが、現行の総量が少ない場合にはある人にかかる濃度だけを見ればいいのです。しかしながら、総量が非情に膨大にありますと、これは粒子です。粒子の拡散は非線形という科学になりまして我々の流体力学の計算でも最も難しいことになりますが、核燃料というのは要するに砂粒みたいなものが合成樹脂みたいなもののなかに埋め込まれています。これがメルトダウンして放出するとなると、細かい粒子が沢山放出されるようになります。そうしたものが出てまいりますと、どういうようなことが起こるかが今回の稲藁の問題です。・・・・」
 児玉は南相馬へ毎週400km車で行く。東大のアイソトープセンターが現在まで7回の徐染をやっておる。最初行ったときには南相馬に1台のカウンターしかなかった。農林省が通達を出したとき、食料も水もガソリンも尽きようとしていて南相馬市長がウェブに痛切な訴えを出したことは広く知られている。通達が出ても誰も見ていないし、だれも知ることはできなかった。稲藁が危険な状態にあることを全く農家は知らなかった。農家は飼料を外国から買い、何十万と負担を負っている。牛の飲む水は自分たちと同じ地下水をあたえるようにその日から変えている。そうすると我々が何をやらなければいけないか。
 まず汚染地の徹底した測定ができるようにする。その保障だ。5月初旬に行ったときは1台しかカウンターがない。米軍からは20台の個人線量計が来ていたが、英文の解説書が市役所の教育委員会でわからなくて、われわれが行って教えてあげ、はじめて20個の測定ができるようになった。食品検査も今はゲルマニウムカウンターではなしに、もっとイメージングベースの測定器がはるかにたくさん半導体で開発されている。
 「何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金をつかわないのか。3ヶ月経ってそのようなことが全く行われていないことに 私は満身の怒りを表明します」。あと、やるべきことを児玉は具体的に挙げてゆく。この15分間のスピーチに視聴者はショックを受け、感激した。ツイッターで児玉さんの息子は語っている。
「親父が厚生労働委員会に参考人として招致されました。東大放射線センター長として、毎週末南相馬に400km車を走らせて、自身で徐染に当たった上での訴えです。どうか見てやってください」「俺は、この人の息子で良かった」。「父は3.11の前に東大のアイソトープセンター長に内定しており、放射線の研究が本業というわけではないのですが、このタイミングで父がなっていたのも何かの巡り合わせか、という気がします。ちょうど一年前に父から肝臓移植をした母は、おかげさまでかなり体調が回復し、今度仕事につくことになりました、この一年間本当にいろいろなことがありますが、家族一同支えあってなんとかやっています。」「親父からはいつも、勇気ということを教えられてきた。親父の立場で、公開の場でああしたことをいうのは。どれだけの勇気がいったことだろう。まず、それをねぎらってあげたい。」
 「親父のスピーチを通じて、どうか学者にも社会のため、人のために真摯に仕事をしている人間がいると伝わればと思っています。利権やポジションにとらわれた人間の多さに嫌気がさすこともあると思いますが、物事をよくするために行動するひとをどうかあきらめないでください。」「親父のスピーチを見ていただいた方に、一つだけお願いさせてください。父は影響力のある科学者ですが、同時に病気の妻を抱えた58歳のただの男です。一人ですべてを解決できるわけではありません。本当に状況が良くなるために、一人一人ができることがあると思います。」
 池田香代子さんは、「泣きました。一人でも多くの方に見ていただきたい。素晴らしい東大児玉龍彦教授のスピーチ、鳥肌たちました。必聴、そして国会は何をしているのですか!」とつぶやく。そして、「政府は何をしているのですか。天下の悪法といわれる「原子力損害賠償支援機構法」を国会で成立させてしまった。この法律の趣旨は、次に原発事故が起きても、電力会社も株主も債権者も破産する心配は全然ないから、電力会社は危険な原発でも心配せずに、今までどおり続けなさいと言う法律のように見えます。こんな法律が許され続けてよいものでしょうか!」

 また欠陥商品であり国民全体に多大の損害と悲痛と不安を与え、、今も与え続けている原発をこともあろうに事情を知らない後進国か欲の皮つっぱった指導者のいる後進国に押し売りしようという恥ずかしい政策を続けると公言している政府なのだ。・・・(その四)につづく。 
                                  (2011.8.11記)
≪参考≫
●児玉龍彦氏が津田大介氏と1時間の対談、その真意を語る。
 1)2)3)4)
●金子勝さんのツイッター
本日の東京新聞で児玉龍彦氏の衆院厚生労働委での証言が大きな記事に。補足。彼はコレステロールをため込む血管のスカベンジャー受容体のDNAの構造を解明し、科学誌ネイチャーの表紙を飾り有名に。今はスパコンを使って放射線と組み合わせてガンの抗体医薬を開発しているゲノムの先端研究者です。
彼はその後もネイチャーに何度も載っている先端研究者。彼は遺伝子レベルで考えているので○○シーベルトでガンの発生率は○%という統計学的発想そのものが予防には無意味と言ってます。放射性物質毎に影響は違い、ゲノムには個人差があり、長期の低線量内部被曝は症状が出るのに長い時間がかかる。
●ブナ林3.小出裕章。8月9日1,2,3号機あわせれば広島原爆4000発分相当の核分裂生成物「たね蒔きジャーナル8月8日」新幹線で福島に着いた時、東京に比べ放射線が10倍に。
●金子勝ツイッター
児玉氏がなぜ衆院厚生労働委で激高したのか不思議で、最近よく話を聞きます。低線量被曝は症状が出るのに長く期間がかかり実証が難しいが、近年、遺伝子レベルの研究の進歩で解明が進んでいて、1990年のICRP基準は時代遅れ。医者として子供のリスクを放置するわけにはいかないとの事でした。
児玉龍彦氏が国会で発表した資料(9ページ)では、福島博士らによるセシウムによる膀胱がんを解明した業績は、すでに4つ以上の査読付き国際誌で「国際標準」。なのに、原子力ムラは不勉強なのか、知っていて隠している確信犯なのか…理解に苦しみます。
●大沼安史の個人新聞から8月11日
〔フクシマ・NEWS〕童子丸開さん、児玉龍彦教授の、あの長い「黙考」に迫る⇒児玉龍彦さんは、フクシマの酷さと過酷と悲惨を、とことん知っているのだろうな。 そして・けれど、そういう不可能にひとしい状況の中で、どうしたら逃げ場のない「運命」を超えていけるか、考えようとしている。「二元論」「二分法」の罠にはまらずに新たな道筋を見出していける、と考えている。「除染」は「全面避難」と「絶対大丈夫」の両極をつなぎ、新たな協働を促す第三の道になりうる、と。前にもすこし触れたが、児玉さんは「除染」に徹底して取り組むことで(ということは測定を徹底して行なうことで)、除染不可能地域の「避難」の必要性を、社会的な合意にまで持っていけると考えているのだろう。その一方で、「除染」を徹底することで、山下氏らのいう「大丈夫」空手形を、ギリギリのところで実際に「落とせる」かも知れない、と思っているのだろう。

●ブナ林便りでは毎朝武田さん、小出さんのレクチャーを読んでいる。
●武田邦彦(中部大学)
●小出裕章(京都大学助教)非公式なまとめ
●児玉さんらが毎週末除洗に行く南相馬
AERA2111年8月8日号
現代の肖像桜井勝延/南相馬市長
●金子勝:1959年に炉心溶融事故を起こしたロス近郊の実験用原子炉跡地で、高濃度放射性セシウムが検出されたようです。半世紀も前のことなのに…深刻です。 福島原発事故後の除染を急 がないと、被害は拡大するばかり。
●小出裕章レクチャー:原発と沖縄8月13日(7年前米軍ヘリ墜落の日) 小出裕章氏の沖縄での講演会
8月13日 反原発の闘いと沖縄の闘いは同じだ 小出裕章(琉球新報)
8月13日 米軍ヘリ墜落で放射性ストロンチウムが3.6マイクログラム消失 小出裕章(沖縄タイムズ)
●『シュピーゲル』5月23日号「原子力国家」全訳(上杉隆ブログ・原発関係)日本とそっくり。必読文献。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終わりの終わりは今始まったばかり(その二)2011年7月13日 (水曜日)

FORUM高校生新聞より転載


終わりの終わりは今始まったばかり(その二)2011年7月13日 (水曜日)

      吉田 悟郎(東京:旧制成城高校新聞部OB)
◆ 目良誠二郎歌ふ 
フクシマを恐れ忘るな今度こそ芯の芯から被爆二ホンよ

◆ 孫崎亨 ツイッター
戦後の日本、「金は命より重し」
2011.3.11以来、私が頼りにし信用しているのは市民科学者ともいうべき小出裕章さんの発言である。
「今、日本に安全と言いきれる食べ物は存在しない」「セシウム半減期30年は人間にとって永遠に近い。
1000分の1になるまで300年かかる。福島の汚染物も最低300年間は閉じ込める必要がある」「これからは今までと違う世界に生きるしかないと思っていただくしかない」
「原子力の世界では誰ひとりとして責任をとらない」「放射性物質を<無毒化>する力は人間にはありません」
 小出裕章さんは1949年台東区に生まれ私立開成高校から東北大学工学部原子核工学科卒、1974年京都大学原子炉実験所助手となる。今もこの京都大学原子炉実験所の助教である小出さんのインタビューが毎日新聞2011年7月4日夕刊に掲載されていた。

――暑い昼下がり、訊ねた研究室は薄暗かった。蛍光灯もエアコンもスイッチを入れていない。2人一部屋の真ん中をついたてで仕切られた細長いスペースで、小出さんは机に向かっていた。
「余計なエネルギーは使わない。皆さんぜいたくになり過ぎて、不要なものを使い過ぎています」。
 原子力の文献が山積みされて、記者(宍戸護)が座るともう身動きがとれない。小出さんの専門は放射線計測、原子力安全。愛媛県・伊方原発の設置許可取り消し訴訟で原告側証人となり、99年のJCO東海事業所臨界事故では土壌の放射線を測定し、別の争いでは地域のがん死者数の推計作業も行うー放射性物質の被害を受ける住民を支える活動をしてきた。福島第一原発の事故後は新聞、テレビ、ラジオ、講演、あらゆる場で事態の深刻さや政府・東京電力の対応のまずさを指摘しつづけている。6月に出版した『原発のウソ』(扶桑社新書)は20万部のベストセラーになった。いまや一分一秒を惜しむ忙しさだ。                          
                   (以上、『毎日新聞』記事による)

 小出さんは、「40年前は私は孤立していた、人々は組織にならなければ声すらあげられなかった」と、6月14日『TBSラジオ』で語っている。「異端」ではあるが、40年以上「助教」として京都大学につとめられたのは、京都大学の自由の学風が許してくれたのであろうと。小出さんは、日の出とともに起き、日の入りで寝るという生活のため、テレビやラジオでの時間帯は出演が難しいので録音放送で談話が送られる。『ブナ林便り』にも収録してあるが、「小出裕章―非公式なまとめ」というサイトがあり、小出さんの発言で記録できたものは毎日読むことができる。このサイトに収録されているものは多数ある。毎日夕刊のインタビュー記事によれば、東大安田講堂事件をテレビで見た68年、宮城県女川町・石巻市にまたがる女川原子力発電所計画を巡り漁師たちが「電気を仙台で使うのに、なぜ自分たちの町に原発を置くのか」と抗議していることを知った。小出さんは原発のあり方について考え抜き、ひとつの結論にたどりつく。
 「女川原発が事故を起こし住民はそこに住み続ければ健康に害があり、健康に害がないようにすれば、その地域に住めなくなる。」
 その懸念は42年後、福島県で現実となる。40年前は <未来のエネルギー>そして<国策原発>に異論を唱える<反国家的存在>として、あえて「異端」の少数グループとして、生き続けた。研究者・学者たちの『原子力村』への舌鋒は鋭い。
 「猛烈な選別があります。例えば東大ならば国家に協力しない人はダメ。その協力の度合いに応じて出世が待っているのです。」
 5月23日の参院行政監視委員会で、参考人として国の原子力政策を批判した小出さんは、インド独立の指導者マハトマ・ガンジーの言葉「七つの社会的罪」を挙げた。うち二つは、「道徳亡き商業」と「人間性なき科学」。前者を東電、後者を自らを含めたアカデミズムに当てはめた。
 「一人一人の人間が生きてきた歴史が根こそぎ壊れた。失われる土地、生活、健康を考えれば、これからも原子力が科学の進歩で何とかなるとは、私には到底言えない。」

 小出さんは静かに言った。その目の前にあるついたてを見ると。ひげを生やした老人の顔写真があった。
足尾鉱毒事件の被害者救済に生涯をささげた明治時代の政治家、田中正造。「私が最も敬愛している人です」
――私が敗戦直後、出版編集者になった駆け出しのとき、最初に手がけたのが、明治文化叢書の『田中正造・晩年の日記』だった。ある長野在の田中正造研究者の方の解題によるものである。-鉱毒と原発―。二つの出来事が時を超えて重なる。
 「原発には都会が引き受けられないリスクがる。そのリスクを、都会の住人は社会的に弱い立場にある過疎地の人たちに押しつけている。仮に原発事故が防げても、原子力を使い続ける限り、核のゴミ(放射性廃棄物)は増え続けるし、人間はそれを無毒化できない。私たちの世代は、自らの利益のために、選択権のない後世にその『毒』を押し付けているのです。」
後世への責任、それは小出さんが常に強調してやまないことだ。
 「原子力の場にいる私にも普通の人と違う責任がある。そして、普通の日本人の皆さんにも責任があると思う。推進派にだまされるかもしれない。でも。だまされた責任もあるはずです」。とすれば、やるべきことは何か。   
 「原子力を進めてきたのは大人だが、そのしわ寄せを受けるのは、おそらく子どもたちです。子どもたちの犠牲を何とか少なくするために、私は自分なりに責任を果たしていきたいのです。・・・原子力に携わって来たひとりとして事故を防げなかった責任は私にもある。みなさんに対して、ほんとに申し訳なくありませんでした。ごめんなさい。」
 この国の原発数は米仏に次ぐ54基。自ら「異端」と称する研究者はこれからの長く険しい闘いを覚悟しているようだった。(『毎日新聞』夕刊記事による)

終わりの終わりは今始まったばかり。            
                 (2011.7.9記))「その三」へ続く

引用:七つの社会的罪「山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!」HP
参考:
a.小出裕章氏最近の全発言、全著書、全動画(ガイガータイムズ)
b.動画(新着順)
「YouTube動画 隠される原子力」(2011年3月20日 
 山口県柳井市での講演)約1時間46分
「YouTube動画 福島第一原子力発電所事故について小出裕章へ
 のインタビュー (2011年4月1日)
a.小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
b.小出裕章とは(@ ウィキ)
c.KOIDE HIROAKI Yoko HasegwaUniversity of California, Berkeley
d.原発はいらない 幻冬社ルネサンス新書
e.原発のウソ   扶桑社新書
f.小出裕章インタビュー 有太マンによる 週間文春7月14日号Catch Up

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終わりの終わりが今始まったばかり (その一)2011年6月15日 (水曜日)

FORUM高校生新聞より転載

2011年6月15日 (水曜日)

終わりの終わりが今始まったばかり (その一)

吉田 悟郎(東京:旧制成城高校新聞部OB)
  この星のいのちの未来左右せむフクシマ襲ふ核の試練は、
あと一つ事故をおこさば列島のすべて終らむ知るも知らぬも
目良誠二郎「日々歌ふ」【ブナ林便り】5章にあるブログ


 2011年3月11日の金曜日、壊滅的な地震・津波の日と翌日、福島第一原発のメルトスルーが東北の空を爆風で吹き飛ばした。
翌週の月曜日、ドイツの『シュピーゲル』はその表紙に爆発した原発の写真とともに「原子力の時代の終わり」を宣言するタイトルを記していた。
そして、4日後にメルケル政権は原発モラトリアムを宣言、脱原発政策をはじめたが、実際に脱原発が完了するには十年かかるという。

 フクシマ後の原子力時代はエピローグに向かうのか? 
帰趨はあきらかではない。帝国は必ずや反撃に出るであろうから。
日本でも遅ればせながら反原発・脱原発の世論が広がる中で、マスメディアあげての震災ナショナリズムの鼓吹、はては「国民の受忍義務」そして「決死隊」まで動員され、大阪の例にみるような「君が代起立条例」にまで抵抗・反撃は進行している。文科省の学童20mSv(マイクロシーベルト)基準の固守もその変形であろう。

 私はまことに恥ずかしいことだが、うかつにして、日本がこれほどまでに猛進して原発小帝国になっていたことを知らず、その余慶にあずかり、のうのうとしていたことだ。
5月16日の【人民網】日本語版はこう指摘している。「エネルギー開発において日本は電力確保のために大量の原発建設の道を選択した。
米独など先進工業国と比べると、その猛進傾向は明らかだ。
日本は約37.8平方キロメートルの国土に55基もの原子炉を建設した。これは米国の原子炉の半分以上だ。
言い換えるなら米国は平均9.26万平方キロメートルに1基の原子炉があるが、日本は平均0.69万平方キロメートルに1基の原子炉がある。つまり日本の原子炉の密集度は米国の13.4倍に達するのだ。また、原子力が全電力に占める割合は、米国は5分の1だが、地震多発国の日本ではおよそ3分の1にもなる。浜岡原発は予想される東海大地震の震源の上に位置するため停止されることとなった。エネルギーを獲得するため,十分な調査・検証を行わず、建設地の選択においても科学的評価を欠いた。
これは日本の原子力開発の猛進ぶりを示すものだ。」

原発立地と原子炉の数については、6/11の、『週間東洋経済』暴走する国策エネルギー原子力に図解入りの調査資料がある。それで確かめてみるとよいが、これならば巷間いわれる<原子力村>とか<御用学者>(主に東大出の)が生まれても 不思議はないと思う。
 2011年3月11~12日以後の福島第一原発事故については収束の見込み立たず現在いまだ進行中であり、「当分」といっても、ここ数年あるいは数十年かそれ以上われわれは放射能の不安を感じつづけなければならないだろう、京都大学原子炉実験研究所助教の小出裕章氏が6/8のMBSラジオで語っている。
――「汚泥を置いておく場所も、灰を置く場所もない。どうしたらいいのか?」
<分らない。こんな事故が起きてしまったから、これからは今までと違う世界に生きるしかないと思っていただくしかない。>
            (2011.06.10記 )「その二」へ続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)