自分史 略年譜  2000.5,26-6.12 作成

自分史 略年譜  2000.5,26-6.12 作成 2001.2.8補修

自分史 略年譜                            
    2000.5,26-6.12 作成 2001.2.8補修 

                                

父 福岡県宗像郡河東村字平等寺の小農の家に1881年生れ、1904年東京蔵前の東京高等工業学校(後の東京工業大学)電気科卒、渡米し1909年米国スタンフォ―ド大学電気工学部卒、京王電鉄技師を経、金沢の街鉄(金沢電気軌道株式会社)の軌道敷設の技師長として赴任、のち金沢街鉄の専務取締役となる。のち北陸冷凍・東洋捕鯨など数社の重役を兼ねたが、一九四二年逝去。吉田恵一。


母 高知県高岡町出身の祖父(森田家)報知新聞社営業部に勤務したので、東京に在住、東京府立第一高女卒。独り娘。父 吉田恵一と結婚、四男一女を産む。吉田芳恵。

〇吉田悟郎〇


1921(大正十年)二月八日。 長女(道子,下里与一郎に嫁ぐ)・長男〔純一郎〕・次男〔進〕に次ぐ三男として金沢市本多町の旧家老本多家邸宅内の住居にて生れた。ついで、下本多町三番丁五番地。


東洋英和幼稚園を経、川向うの新竪町小学校に一学期のみ在学、石川県立女子師範付属小学校一年に転入、同小学校卒。

                          

父のアメリカ体験。
『モンテクリスト伯』の訳読。クリスマス。ベビ―ゴルフ、北陸  各地の全温泉を家族旅行、栗拾いなどのハイキング、夏の宿泊海水浴、スキー旅行。  
グリム童話、『少年倶楽部』『子供の科学』『世界知識』、ヴァン-ロ―ン『世界文明史物語』『聖書物語』、宇都宮書店。/兼六公園内の図書館、次兄(進)がとっていた『聖書の知識』、『プルタ―ク英雄伝』『ナポレオン』、坪内訳中公版『シェ―クスピア全集』、改造文庫・島崎藤村『海へ』/
バ―ナ―ド-ショ―『人と超人―メトセラ時代に帰れ』、国史物語、グリム童話集、アメリカ映画-ロイドもの、フ―マンチュ―博士の秘密、タ―ザンもの/

東京の大森に住む母方の祖母の家に長期の学校の休みのとき上京宿泊・東京見物/
藤棚おとぎ会でのおばけばなし、体育館の肋木上で見た洋画『ファウスト』/
六年生のとき、日本放送協会の小学生「日本早回りリレ―」の東側最終選手としての金沢局代表に選ばれ、長野から川中島・碓氷峠を経て愛宕山の放送局をゴ―ルとする車走コ―スを担当、体験綴り方を速成、愛宕山放送局から放送

1933(昭和八年) 石川県立第一中学校に入学。

1934(昭和九年) 同中学一年生終了時、東京府立第五中学校二年に転入試験を受け転入。そのまえから一家は、石川県金沢市から東京府本郷区西片町に転居。父恵一は、勤務先の関係からその数年前から東京に住み、旅館住いをしていた。

東京府立第五中学校二年生から四年生までの在学中、文化祭のための発表作品として  <イプセン-ペ―ル・ギュントにあらわれた北欧の自然>、
生徒の校外活動を規制する補導協会発足を批判する文章をクラス新聞に寄稿/本郷の古本屋通い、
五中の開拓館図書館、
本郷西片町をでたところにあった図書館、バ―トン版『千一夜物語』、本郷座のナイタ―番組、映画雑誌『スタ―』、映画のプログラム収集、
岩波文庫はじめ文庫集め、日本・西洋の文学者全集・戯曲全集H.G.ウエルズの『世界文明史大系』、モリエ―ル全集、大トルストイ全集、ゲ―テ全集、カロッサ全集、ヘルマン・ヘッセ全集 、ロマン・ロラン全集、漱石全集、蘆花全集、寅彦・三重吉全集など、レコ―ド収集、日本フィルハ―モニイ、諏訪根自子、シャリアピン、ピアティゴルスキイ、新交響楽団 

                                   

1937(昭和十二年) 第一高等学校の入試に失敗(次兄は石川県立第一中学校の四年生から第一高等学校理科甲類入試をパスし、本郷の寮生活にすでに入っていたことがプレッシャ-となった)、私立成城高等学校文科乙類に府立五中四年から入学。



「支那事変」に対する非戦論投稿、執筆禁止および新聞部への入部禁止、
秘密部員としての新聞部活動、早稲田・神田・本郷などの古本屋歩き、
場末の映画館探し、
成城高校図書館、
ナトルプ文庫、『アトリエ』『みずえ』、
岩波文庫など赤帯ものの収集と乱読、芥川全集から中勘助まで洋画にとりつかれたはじめ『にんじん』 帝劇通い  
戸坂潤・三木清・林達夫・羽仁五郎、コペル君と『君たちはどう生きるか』、ロシア文学史年表づくり、
プ―シキン、レエルモントフ、北軽井沢岩波別荘での新聞部仲間 のドラマレ―ゼ、文芸部『城』に洋画批評を寄稿。
プ―シキンの死に始まりレエルモントフの死に終る『詩人の死』という小説を『城』に投稿、反逆精神満つとて発表禁止となる。
築地小劇場、最初の新劇「どん底」、宇野重吉、滝沢修、細川たか子、「桜の園」「火山灰地」「夜明け前」、尾鍋輝彦教授の西洋史概説、
ボチャロフ・ヨアシニアニ『唯物史観・世界史教程』。
成城高校新聞にレエルモントフの「夢」をレクラム文庫のドイツ語から重訳

1940(昭和十五年) 東京帝国大学文学部 独逸文学科入学。

1941(昭和十六年) 独逸文学科から西洋史学科へ転科。二年生。補遺 藤田浩と私

1942(昭和十七年) 繰り上げ卒業(学徒出陣)の二回目で九月に繰り上げ卒業。三年は半分で切り捨て。卒業論文『ヘルダ―リンにおけるドイツ的近代性』。入営直前の歴史学研究会で報告。



歴史学研究会、石母田正・藤間生大・松本新八郎・林基・高橋幸八郎・林健太郎など 『近代文学』『現代文学』、成城高校新聞部仲間、澁谷宮益坂-沢田邸サロン、河出書房『講座 世界歴史』、『ミケルアンジェロ』、『洋学論』、『日本資本主義発達史講座』『機構』『分析』、唯物論全書、三笠全書、日本歴史全書。新聞部秘密日誌。

1942(昭和十七年) 近衛師団第一歩兵連隊重機関銃中隊に二等兵として入隊。10.1        
盲腸炎で入院。
父恵一、脳溢血後のリハビリ中逝去。

あいつぎ、弟 鉄男 府立六中一年生で自殺、十四才。
母、下北沢から東松原に転居を決める。補遺 自殺した弟を悼む詩篇

1943(昭和十八年) 近衛師団司令部に新設された情報班に勤務。班長は東大仏文出身の長与道夫少尉。

1945(昭和二十年) 近衛師団司令部から東京船舶隊司令部情報班へ転出。

1945.6.3   三戸千枝子と結婚。やがて二女をもうける。のち長女民子は根岸淳と結婚し、長男力、次男忍を生む。次女千秋は川口博と結婚し、長女彩と長男亨を生む。

1944-1945   B29の東京空襲・横浜空襲を軍隊で体験

1945        五月二十五日の東京空襲で高輪の東京船舶隊司令部も焼失                    東松原の留守宅も焼け落ち蔵書レコ―ド灰塵と化す

1945        五月二十九日の横浜空襲。
無条件降伏-敗戦後しばらく芝浦埠頭にて東京船舶隊の終戦処理事務。
復員。
港区高輪の妻の実家 承教寺本堂に住む

1945(昭和二十年) 丸の内郵便局二階のGHQ CID の国内郵便検閲のためのCCD としてアルバイト勤務。デスク仲間の開放的雰囲気。

1946 愛媛大学に赴任する西洋史の先輩 村瀬興雄の代りとして村瀬の推薦で京橋の日本評論社出版部に出版編集者として入社。
歴史学関係、新企画の『世界古典文庫』の責任者の仕事を任せられる。日評労働組合青年部。



日本歴史学叢書、明治文化叢書、『社会構成史体系』から『親と教師に語る』『新しい育児百科』『目で見る日本の歴史』『目で見る人類史・第一巻/地球と人類が生れるまで』、ホグベン・ノイラ―ト『絵解き人類史』全三冊、同『科学の絵本』二冊の翻訳

『目で見る日本の歴史』第一巻である『日本の国ができるまで』の制作過程については、図書新聞に掲載された「名著の履歴書」(毎日・出版文化賞をもらった書籍)に執筆した。これは日本エディタ―スク―ル出版部『名著の履歴書』上巻 1971 に収録されている。

1946 <羽仁ク―デタ―>後に再建された歴史学研究会委員(二年間のみ)

1946~1951   日本評論社在職中、二回にわたるレッドパ―ジ反対闘争

1951 日本評論社を病気理由で退社。

     教育文化研究所計画にとりかかり見通し暗く中止。失業。

1952 社会科世界史教師となる/歴教協および歴史教育研究所との出会い/上原ゼミとの出会い

     府立五中在校時の担任真田幸男先生の推薦で都立広尾高校社会科教師となり主に世界史担当(1981まで勤務)

1952 7月 歴史教育者協議会東京世界史部会発足

1952 実教出版の上原専禄監修『高校世界史』教科書の編集に参加、以後岩波で『日本国民の世界史』として出版まで

<八年間の上原ゼミ―ル>はじまる/歴史認識、世界史認識とはなにか、歴史研究と歴史教育の基礎と方法を学ぶ

1953 NHK ラジオ学校放送中学校<時の動き>担当/以後三年間

1953.10~11  京都立命館大での第五回歴教協全国大会高大部会で「とくに隣近所のアジアの諸国民・諸民族につながっているという世界史的自覚をどうしたらつかめるだろうか.
いままでの日本観・アジア観・世界観や奴隷根性からぬけでて、アジアの叢の中から世界史をとらえるにはどうしたらよいだろうか.
国籍を失わされたような子どもたち、そして教師や親の魂にしみいるような世界史、不幸な日本人の肌にあったような世界史はどうしたらつかめるだろうか」と提起し、「生徒の中の健全な歴史意識の芽ばえに信頼し、歴史教育は最初から世界の中で、日本はじめ諸民族の歴史を全面的に発展的にとらえねばならぬこと.
その場合、特に植民地従属国の歴史を重要視すべきこと.
その中で近代日本が一面従属、一面侵略という歪んだ道を歩んだことがはっきり浮き彫りされること.
そこから脱却する繁栄の道は、東欧・アジア・アフリカ・中南米とのつながりの上で歴史的に自覚する必要のあること.
そういう歴史教育を通じてはじめて、今日の国民的危機の自覚と克服を妨げている支配者根性、植民地保有国家の精神を脱却しうること.
アジア、東洋にも民主主義や平和の歴史がある.
東洋と西洋のからみ合いの中で歴史を見ていかなくてはならない.
いままでの西洋中心の見方ではだめだ.特に近代現代における東洋と西洋との有機的関係をつかまねばならない.
科学的歴史教育とは一体何なのか」と強調した。[歴教協『新しい歴史教育』2号(54.1)


 < 1953 年前後にすでにいわれていたこと(京都歴教協の提案、上原専禄の提案、吉田の提案)が、90年代になってようやく現実のものになりつつあることを感じる。たとえば、「小学校からの世界史教育の必要性」「ヨ―ロッパ中心の世界史の克服」「歴史研究と歴史教育の相互交流」「日本史教育と世界史教育の有機的関連」あるいは「世界史と日本史の統一的把握」「歴史教育は当初から世界史の中での日本を発見していくことである」「アジアの諸国民とともに歴史教育を考える」などがそれである。>(鈴木亮「世界史教育のあゆみ・ノ―ト」から引用)


1954.2.6 歴史教育研究所開所。評議員となる(2000年まで)

1954  『歴史地理教育』2 号に「授業で絵図をどう利用したか」

1955.8「ものの見方・考え方を深めるため―世界史の同時代的・全面的(「全地域的」にすぐ改める)とらえ方というひとつの仮説―」[東洋経済『世界史講座』8に掲載]

1955.8「『世界史的なものの見方』への努力」(『歴史地理教育』11号)で「どうもそのころまでの『科学的世界史』というのは、発展法則をいかに見失わないかという点に重点があり、とくにヨ―ロッパの中から生れた発展法則でアジアを推し測るというような状態がつづいていたようだ」と反省

1955   完成した実教『上原世界史』の指導書を久坂三郎と担当、182 頁に「歴史の表面にあらわれたオリエント・東地中海だけに人がいて、それ以外の地域は無人であるとか、歴史の歩みがないように思わせてはならない。舞台裏の民族がたくさんいる。日本もこの時代は、舞台裏の民族で、日本の場合は自力があり、進んだ大陸の文明を受け入れる条件を育て、ついに舞台裏には終らなかったのである。」と[『高校世界史指導書』実教 1956 ]

1955   久坂三郎・大江一道らと『教師のための世界歴史』を編述 、河出書房

1956  「教育とアジア認識」(『現代アジア史』第4巻.大月書店                   「地理教育とアジア認識(歴教協講座・地理篇)河出書房

1956.6.9 歴史教育研究所で「世界史研究及び世界史教育の問題点」報告と討論(季要創刊号56.9)

1957.4「歴史意識の自立を求めて―世界史・日本史の統一的把握を考えるに至るまで」を『歴史地理教育』29号、『歴史学研究』213 号に発表。「<世界史発展の法則>を先験的公式 としてではなく、……未定型のかたちで、リアルにダイナミックにさぐっていく」と提起した。

1957.11.16  歴教協第9回大会高校部会準備のため歴史教育研究所と共催で<「日本史と世界史の統一的把握」をめぐって>のシンポジウム。吉田・水口報告、上原専禄講演、討議(『歴史教育研究』7号)

1958  「現代にふさわしい歴史意識」を歴教協編『歴史教育における指導と認識』未名社 1958 に発表

[補遺]として鈴木亮『世界史教育のあゆみ・ノ―ト』を挿入(次頁1シ―ト)       補遺/鈴木亮の文章を読む

1959-1962   NET テレビで「時代の歩み」(中学歴史)担当、高橋磌一 に協力

広尾高校在勤中、以下の企画に参加、企画構成・執筆

〇 『世界歴史物語』全八巻(河出書房)、『少年少女おはなし世界歴史』(のち『お話世界歴史』と改題)全二十四巻(岩崎書店)『社会科図解事典・日本と世界の歴史』(平凡社)、東洋経済『世界史講座』第八巻『世界史の理論と教育』に参加、歴教協世界史部会『教師ののための世界歴史』(河出書房)、『世界歴史地図』(旺文社)、『社会科指導資料事典』六・七・八・九・十の五巻(平凡社 )、カラ―スライド『資料世界史』全六巻、カラ―スライド『埋もれた王国』全三巻(ともに学研)、上原専禄監修『日本国民の世界史』、上原・江口朴郎監修/岩波小辞典『世界史―西洋』編述に参加。

1961 〇 ネル―『父が子に語る世界歴史』(世界史瞥見)の抜粋・児童向けの版編纂を訳者大山聡氏に委嘱され、『父が子に語る世界史物語』(あかね書房)を編纂。

1961 発行停止となった実教出版『中学歴史』教科書の指導書に「歴史教育の現状と問題点―世界史教育の原点―」「世界史・日本史統一への試み―『中学歴史』の構想―」を掲載。

1961 「小中高大を一貫する歴史認識」を歴教協全国大会で提案。『歴史地理教育』66 号に掲載。

1962 「歴史意識の実態についての一資料―小学校入学前から高校段階まで」を『歴史地理教育』75.76.77.79-81号に連載。

1962 『歴史地理教育』81号に「切手学習のすすめ」掲載。

1962.5「社会認識・歴史認識をどう育てるか―東アジア世界と歴史認識」を『歴史地理教育』75号に寄稿

1962.8 長野県白馬=歴教協全国大会、<東アジアを正面に>提起し科学主義に対し<生活意識に即し「科学」の見直しを>                                 1963.5 歴史学研究会大会で「歴史教育の現場から―東アジアを正面に―」報告

1964.2 太田秀通『地中海文明印象記』書評(歴史教育研究30-31)

1963.12,15~ 芸文学堂で上原専禄の「世界史学習会」五回を聴講。          1964.10.2 世界史研究の方法を求めて―世界諸地域の設定/アフリカ認識と社会人類学/ランケとHISTORIA MUNDI/MARXとアカデミア 世界史

1964.1~同年4月 国民教育研究所で上原専禄をかこみ四回の世界史教育の研究会―「ひっくりかえし」「忘れ残し」「歩どまり」「民族の実感」「階級の実感」など。[『国民教育研究』1964   No3,4「高校世界史教育をめぐって」に収録]

    

1964 「現代史学習の視点」「アジア・アフリカ学習の視点」を『社会科教育』に寄稿。

1964 「歴史研究と歴史教育の差異」(未完)のち『歴史認識と世界史の論理』勁草書房 1970 で発表

1965 「ヴェトナム ・日本・東アジア」(『歴史地理教育』110-12号)

1965  NHK 教育テレビで通信高校講座『世界史B』開講に参加

1965~1966 歴史教育研究所で四回のシンポジウム。第一次世界大戦・大戦間期・第二次世界大戦・戦後世界の起点、それぞれをめぐり「世界史の方法」問題提起と議論(季要37-41 号)

1965.10.7/10.14  上原専禄講演「日蓮とその時代―世界史認識の意味と方法によせて」(岩波市民講座)

1966.6.2/6.16   上原講演「モンゴル人の<世界征服>と十三世紀ユ-ラフロアジア世界              ―日蓮認識の意味と方法によせて」(岩波市民講座)

1966-1969春  1966通信高校講座『世界史B』一年間試験的開講                      同講座本放送初年度講義から企画・講義を三年間担当

1967.4     「世界史の方法への試行」を『歴史学研究』324 号に寄稿

              [『歴史認識と世界史の論理』に収録]

1969.3~1971「世界史の会への招待」<世界史の会>週一回で三年ほど継続(会場-歴史教育研究所で。一回-合宿も行なう。 会通信を発行)

1969.6      歴史教育研究所で「世界史の可能性」の問題提起、討議行なわれた。 [『歴史教育研究』50号]

1969       『歴史教育研究』48号に「私の卒業論文」[『歴史学の旅立ち』下・三省堂選書 1981 ]

1970.      「歴史認識と世界史教育」「地域・日本・東アジア・世界」を『歴史認識と世界史教育』の序章、『歴史認識と世界史の論理』の結びとして執筆。後者で、沖縄・韓国・台湾・南ベトナムを認識対象に組み込む必要を強調。

1970      〇『歴史認識と世界史の論理』勁草書房

1970      〇『歴史認識と世界史教育』青木書店

1971        都立高校社会科教師の歴史教育研究会で「世界史構想における十三世紀」(『世界史の小径』に収録)

1971        歴教協「ヨ―ロッパ革命史と現代の旅」パリ・コンミュ-ン 百年

1971および1975 日本女子大学文学部史学科で『世界史の方法』を年間講義

1971-73    『歴史地理教育』に「公害の世界史」一~八 連載

1972~1973  「世界史の起点―上原専禄の世界史認識―」を『歴史評論』270.273-276 連載『世界史の方法』青木書店に収録

1972.2     「沖縄認識と歴史教育―沖縄学習の過去と現在―」(東京歴科協での報告)[『人民の歴史学』14号に収録]

1972.4     「沖縄学習を深めるために」を『歴史地理教育』197 号に。        1972.8     「沖縄史に世界史を発見する」(『歴史地理教育』201 号)/<地域>・<多様多元の日本史・世界史>の発見

                               

1973       「東アジア 」を北方ユ-ラシア・南方ユ-ラフロアジアの中で捉える(『歴史地理教育』73.8月号座談会「東アジアを考える」)

1974.10 ~1974.12    歴教協世界部会でアメリカ、 中国、 西欧、中東・イスラ-ム、 太平洋・インド、東南アジア、中南米、ロシア・ソ連、 朝鮮、アフリカ、東欧と「出会い学習」を試みる/多元的世界史像への学習・試行

1974~1978   鈴木亮・大江一道らとともに実教出版『新高校世界史』教科書編纂を行なう。はじめての13(対検閲のため9地域に圧縮・妥協)地域世界対等の世界史構成。地域世界の主体性を尊重、ヨ―ロッパ中心主義の相対化を試みる[制作過程とこの教科書の特徴について鈴木亮の『大きなうそと小さなうそ―日本人の世界史認識』ほるぷ 出版 1984 参照]

1975.9     「ニコラエフスク事件をめぐって―『おはなし日本歴史』『おはなし世界歴史』の問題―」を『歴史学研究』427 号に寄稿[『世界史の小径』に収録]

1975.10.25  吉岡力先生 逝去。(享年67才)

1975.10.28  上原専禄先生 逝去。(享年76才)

1976       「足で歩く世界史学習のすすめ」[実教出版『高校世界史』指導書 1978 ]/地域、身辺で世界史の発見 フィ-ルド 学習 

1976       『歴史地理教育』254、255 号に「地図はなぜ必要なのか―それなのになぜ地図はあまり使われないのか―」

1976~      『歴史地理教育』251-267 号に「体験的世界史遍歴抄―アメリカとの出会い―」(未完)

1976.9      実教・新世界史教科書素材として「北方ユ-ラシア 小史」叙述

1976        中央大学法学部一般教育『史学』、成蹊大学法学部教職『世界史概論』『社会科教育法(歴史)』を委嘱される(『社会科教育法』は三年間のみ)>。両大学の講義は1990-1996まで続けられる

1977      〇『世界史の小径―世界史学習小論―』実教出版

1977夏       ロシア革命六〇周年のフィ―ルドを東京周辺で試みる

            このころ<(地域で)足で歩く世界史学習>を提唱、歴教協世界史部会で数例を試みる。


〇パレスチナ-アラブ-<イスラ―ム>-<中東>-<第三世界>に向けて〇

1974~79     アラビア語、ペルシア 語、トルコ語の 学習.ヘブライ 語、モンゴル 語も始める

1977.11     「パレスチナ問題を考えるシンポジウム」(横浜国際会議場)組織委員、「日本社会のパレスチナ問題観―教育の面から」を報告 

                                                                                                                                                              

〇国際交流―-国際的な地域づくり--<アイデンティティ複合>-<第三世界を自分の中に創る>作業へ〇

1978        鈴木亮ら七人の実教『高校世界史』教科書,文部省検定を合格、1979年

           より使用開始。

                                         

1978       「足で歩く世界史学習―日本・ロシア・北方ユ―ラシア」を『歴史地理教育』   270.275.279号に連載。

1978       「北方ユ―ラシア・忘れられた主体―森林の民ヤク―トとの出会い―」[『世界史の方法』青木書店に収録]

1978-81     日本・アラブ関係国際共同研究国内委員。作業「国定教科書におけるアラブ イスラム 中東」

1979       「ネル―『世界史』に世界史の方法を読む」[『世界史の方法』青木書店に収録]

1979.6     モスクワ・友情の家で第四回日ソ歴史学シンポジウム。「世界史の方法」セクションで「日本における世界史の方法論」「Methodology of World History  in Japan 報告(「<世界史の方法論>をめぐる幾つかの意見」『歴史地理教育』301 )

1980.8      ブカレストで第十五回国際歴史学会議歴史教育部会。高橋磌一氏がドクターストップのため、日本側報告を代読報告「日本における歴史教育と教科書問題」(「第15回国際歴史学会議歴史教育部会報告―平和共存と歴史教育」上中下『歴史地理教育』317.318.322 号) 「歴史教育初の国際討議」『歴史教育研究』65号)

 <自国自民族のみに属する一国史ではだめ、自分たちと近隣諸民族が共有する世界史を><民族や国家、イデオロギ-の歴史性を踏まえ、その実体視を掘り崩すような歴史認識が必要>           1979と1980の体験を通じ、第一世界と第二世界の相互補完性、第二世界が第一世界の鬼っ子なることを痛感。<自国史と世界史>の課題、ヨ-ロッパ中心主義の世界史の限界と問題性

1981.1.3    野原四郎先生 逝去(享年78)

1981.3      都立広尾高校を退職、二十九年間の社会科世界史の修了

1982.11     日本大学法学部で「パレスチナ・アラブ・中東を考えるシンポジウム」[『パレスチナ人とユダヤ人―日本から中東を見る視点―』三省堂]

1970年代末-80年代 ヴェントゥ-ラ・チェゼラ-ニ『マルコ・ポ-ロ の冒険』『コロンブス の航海』『マゼランの航海』『クック の航海』『リビングスト-ンの探検』『北極探検』(評論社)の翻訳

1982.12.18  比較史・比較歴史教育研究会発足(会ニュ―ス発行)

1983.3      第一回日米歴史学会議(都立大)歴史教育部会「日米におけるヨ―ロッパ史教育」組織委員、報告「日本における西洋史教育」[記録-『自国史と世界史―歴史教育の国際化を求めて―』未来社 1985 ] 米国からマクニ―ル

1983      〇『世界史の方法』青木書店

1983.6      ベトナムのヴァン-タオを招き、ベトナム・日本における自国史と世界史の問題を論じあう

1984       『教科書問題とは何か』未来社に「<外国史>としての世界史―文部省的歴史観の輪郭―」を掲載

多様・異質・多元の未知の世界を自他のなかに発見する、創り出すという課題

1984.1,17  「バリ島で考えたこと―体験的世界史遍歴抄―」(『歴史教育研究』70号 1984.12 )

1984        跡見学園女子大学で『世界文化史』講義を担当

1984.6.2    同学 久坂三郎 逝去(享年67才)

1984.8      第一回東アジア教育シンポジウム(駒場東大)

             「世界史における東アジア―自国史と世界史―」報告

             [記録『共同討議―日本・中国・韓国/自国史と世界史』ほるぷ出版 1985  韓国・中国から参加

1984.9     「自国史と世界史」を比較史・比較歴史教育研究会編の『自国史と世界史』未来社のため執筆。

1984      ○ 板垣雄三と共編で『パレスチナ人とユダヤ人―日本から中東を見る視点』 三省堂



1980年代後半から  民族・国家・イデオロギ-の歴史性をえぐりだしそれらの実体視のひっくりかえし/西欧近代文明の内在的批判/各国の具体的条件と夫々の民族的課題に基づく世界の歴史教科書の検討と比較/日東西三史学にも共通する「日本・日本人・日本史イデオロギ-」 (国民国家意識+帝国意識)の克服/総じて「自国史と世界史」を作業課題とした

1985.3      日評『法学セミナ―』増刊『これからの教育』に「世界史教育と教科書」を掲載[『自立と共生の世界史学』所収]                                                                                         『歴史地理教育』380 号に「国際交流と世界認識」掲載。

1985        ほるぷ出版『世界の歴史教科書―ブルガリア篇』に「ブルガリアの自国史教科書に学ぶ」を執筆。



1985.5      富士山(東南麓)と愛鷹山越前岳の間にある十里木山荘(静岡県裾野市高原の須山・十里木高原)に1995年6月まで十年間ほぼ定住し、山暮しを続けた。この間に 世界史学講義や数々のブナ林便りがワープロで打たれた。

1985.8      中国北京香山で中国歴史教学研究会年会に斉藤秋男・二谷貞夫とともに招待され、「日本における歴史教科書編纂体験」を報告

1985.8.6    高橋 磌一先生 逝去(享年72才)

1985.8.14   同学 阪東淑子 逝去(享年57才)

1986        東洋大学文学部史学科二年生の西洋史学演習でフィリピン の歴史教科書を読み            さらにフィリピン 独立闘争史の物語も読む

1986-87     歴史科学協議会二十周年記念出版の『現代に生きる歴史科学』第三巻『方法と視座』大月書店のシンポジウムに参加 「世界史把握の方法について」の問題提起

1987.1     「教科書風世界史像をのりこえてゆくために」を『歴史地理教育』3月臨時増刊号に掲載。



1987.4-89.1 都立大学教育学部で年間二十六回で『教育方法論』という講座名で、世界史の方法をどう作り壊してきたか、を述懐 
                         

1987.6     『歴史地理教育』412 号に「日本人、モウル人打まじり見せ出し居申時候―十  六世紀後半-十七世紀初期フィリピンの日本人」を執筆。

1987.6      比較史・比較歴史教育研究会例会で「フィリピンの自国史教科書に学ぶ」報告[『自立と共生の世界史学』に収録]

1987.9      中近東文化センタ―でのシンポジウム『十字軍』で「歴史教育の中の十字軍」報告[中近東文化センタ-研究会報告 9]

1987.9      十里木の山荘にワープロ設置(キャノワードα100)

                          

1987   東洋大学文学部史学科二年生の西洋史学演習で Richard Clogg の『近代ギリシア史』

ケンブリッジ大学出版部1986 を読む。「近代ギリシア史を読み合わせて―その一、その二」を『自立

と共生の世界史学』に収録。

〇<世界史学への道程>という自覚〇

1987.11.22~「世界史学への道」(メモ)(フロッピ-)

1988.1 『自立と共生の世界史学』の序論として「世界史認識をめぐる問題状況―特に独立・自                                立の問題について」を執筆。

1988.1.5   「陳相武先生の質問に答えて」(反歴史・非歴史など)

1988.2.8   「世界史学的方法の可能性」(フロッピ-)

1988.3.1   「非歴史」考(フロッピ-)

1988.3.2   「反歴史」考(フロッピ-)

1988.5      比較史・比較歴史教育研究会例会で「第三世界と世界史学」を報告。               自分・日本の中に第三世界を創るという課題。

1988        府立五中同窓生の文集『豊葦原』に「私の勉強」。

            自他とその生きた時代、<明治>研究・<大正>研究・

            <昭和>研究・<平成>研究が難しい課題、そういう課題が集約されたところで出てくるのが未だ学問としても知としても認知されていない<世界史 学>への試行という作業課題。それが私の勉強。

1988.9     「変な世界史四十年―世界史教育の現状と問題点」(フロッピ-)

1989.2      比較史・比較歴史教育研究会例会で「二つのシンポジウム(「十字軍」と「モンゴルとイスラム」 )で世界史学を考える」報告

1989.3     「西洋史演習のなかでの<日本史イデオロギ―>の発見」   

              [『自立と共生の世界史学』に収録]

1989.3.15   江口朴郎先生 逝去。(享年77才)

1989.7      歴教協編『日本歴史と天皇/古代から現代まで50問50答』大月書店に―」を執筆。『世界史と現代世界の中で天皇制をどう考えるか―自立と共存のための課題』

1989.8      第二回東アジア歴史教育シンポジウム(駒場東大)

             [記録-『アジアの「近代」と歴史教育/自国史と世界史』未来社    1991 ]韓国・北朝鮮・中国から参加

1990.1     『自立と共生の世界史学』のむすびとして「<自国史と世界史>という課題について考える―世界史学への試行という提案―」を執筆。

1990      〇『歴史のなかの子どもたち4/恐れと怒りのはなし』大月書店に「インドネシアのめざめ」として少女カルティ-ニの物語を執筆。



1990      〇『自立と共生の世界史学』青木書店

1990.3      七十才定年で、中央大学法学部での『史学』、東洋大学での教職『外国史』、史学科の『西洋史学演習(二年生)』、和光大学での『歴史』、それぞれ終講。

1990.12.24 「<第三世界を自分の中に創る>という提案を考える」

                          ―学生のレポ―トを読む―

1991.1.6/2.1    ブナ林便り「<日本・日本人・日本史イデオロギ-> 」二篇(フロピ-)

1991.2     『歴史地理教育』468 号に「民族の課題再論のための私的な覚書」。                内なる固定した「日本・日本人・日本史イデオロギ-」 を徹底的に解体し、日本の中に第三世界を確かめつつ、自分自身の中に第三世界を自覚的に創ってゆく作業を。

1991.7      韓日歴史教育セミナ―(ソウル大学湖巌会館)に招かれ

              発題講演「二十一世紀を臨む歴史教育における自国史と世界史―学と知転換の場としての世界史学―」(記録―西川正雄編『自国史を超えた歴史教育』三省堂 1992 )

 第一・第二世界の第三世界化。二十一世紀の中心的課題は第三世界問題。学と知ともに第三世界問題に対応が緊要。

1992      〇 ピ-タ-・シスの『夢を追いかけろ―コロンブス の物語―』ほるぷ出版 翻訳

1992       「92年度教職課程『世界史概論』前期を終えて学生に学んだこと」を成蹊大学『教職課程指導室年報』2号に寄稿。

1992.12     韓日歴史教育学術大会(ソウル大学湖巌会館)

1993.2      法政二高育友会歴史教育研究所で「世界史教育四十五年と世界史学」報告[『歴史教育研究』77号]

1992.2.13   比較史・比較歴史教育研究会代表、成瀬治から吉田に交代

1993.3     『歴史地理教育』500 号に「いま、なぜ「世界認識」が問われるのか」。             

脱第一世界、脱「単位性・体系性・境界性」/差異性・異質性・関係性・無境界性で多種多様多彩多元の第三世界的な関係内・世界内自己の発見と形成 ―その場と方法としての世界史認識(世界史学的方法)の創造を。

1993.7      中国歴史教学研究会年会(懐柔県)で「近代化は何時何処で始められ、誰によって横取りされ、変質したか」報告

1993.10     歴教協編『あたらしい歴史教育』1の『世界史とは何か』に「産業革命・市民革命世界史」 (大月書店)                                           野蛮な軍事的・欧米近現代文明-世界制覇の「普遍性」を説く創成神話。

1993.10.18  同学 土井正興 逝去(享年69)

1994.8      歴科協編『歴史科学大系 31 歴史教育論』に「世界史研究および世界史教育の問題点」採録

1994.8      第三回東アジア歴史教育シンポジウム(駒場東大)

            「基調報告」[記録-『黒船と日清戦争―歴史認識をめぐる対話―』未来社1996            、「基調報告」は報告集に収録] 韓国・中国・台湾・ベトナムからの参加。


1995.6      夫婦それぞれの病院通いのためもあり、十年間の山暮しを切り上げ、練馬区石神井台での定住生活に戻った。

1995.3      比較史・比較歴史教育研究会例会で「21世紀に向かう新しい世界史像構築のための機軸を考える―十三世紀からの日本史・世界史の読み替え―」を報告

1995.8      中国歴史教学研究会年会(承徳)で「東アジアから見た十三世紀世界史をどう伝えるか」の報告



1995      〇『世界史学講義―上下』御茶の水書房

1995.10.23 「戦後史」という枠組の欺瞞的構造(フロッピ-)

1995.11.16 「戦後五十年」と「戦前五十年」―日本・世界近代史の終末(フロッピー) 

             

1996.1.25   京都・真宗大谷派教学研究所で蓮如遠忌五百年に向けての現代市民社会グル-プの研究会で「民学としての世界史学への道程」報告

1996.3      成蹊大学法学部での『世界史概論』を終了(75才定年)

1996.12.27  ブナ林便り―「浜林正夫の書評『世界史学講義』への疑問― その一、その二」(フロッピー)

1997.1.23-24   上越教育大にて院生の「社会科教育学演習(歴史領域)」の『世界史学講義』下巻輪読に参加.「『世界史学講義』その後」の話.懇親会.フィ-ルドワ-ク. /二谷貞夫教授指導。

1997        歴教協編『歴史教育五〇年のあゆみと課題』に座談会「世界史像の自主形成」。

1997.2     『歴史地理教育』559 号「偽史の枠組としての「戦後史」」                      戦前の国家(国体)と国民(臣民)の連続、日日本人・日本史イデオロギ- の継続、戦争まみれの「戦後史」を本・隠蔽。

1997.2.21   尾鍋輝彦先生 逝去(享年88)

1997.2.24  『歴史教育研究』79号に「二十世紀後半に連続したもの、断絶・喪失したもの」

1997~      <朝鮮五葉松を探し求める読書と思考の旅>を始める。

1998.7.25  <八年間の上原ゼミナ-ル >筆者・同学 西嶋定生逝去(享年79)

1998.10.19  ブナ林便り―「歴史教科書の枠組と内容についての再論」

1999.1.30-

.5.26

       WPで『朝鮮五葉松への旅―ある樹木から見た東北アジア地域世界史への試み』作成し終わる。

            その副産物として『朝鮮五葉こぼればなし』を「朝鮮人参のはなし」はじめ数編WPする。

1999.12     第四回東アジア歴史教育シンポジウム(明治大学大学院)                    <帝国主義時代の理解をめぐって>[記録-未来社で2001年内に出版の予定]韓国・中国・台湾・ベトナムから参加。

2000.1.5    同学 鈴木亮 癌にたおれ逝去(享年75)

2000,3,19   斉藤秋男先生 逝去(享年83)

2000.5.7    <鈴木亮さんを偲ぶ会>で弔辞。自分史年譜作成を思立つ

2000.5      東京堂出版『展望 日本歴史 2 歴史教育の現在』に「<世界史教育>四十五年と世界史学」(追記を付す)採録。

2000,7      1954,2開所の歴史教育研究所(澁谷神山町で23年、法政二高育友会付属で 23年)今年度中で活動を中止、『歴史教育研究』は80号を出して終刊。 「研究所とわたし」収録。

2000.10 下旬  パソコン設置(日立 Flora Prius 30P)プリンター,デジカメもともに。

2000.12.10  畏友 太田秀通 逝去(享年82才)

2001.2      パソコンにスキャナーを接続(キャノン)

2001.3  ホームページ立ち上げの準備を本格的に始める

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