東アジア史への試み
※2001年3月に吉田悟郎が書いた文章です。
東アジア史への試み 吉田悟郎
世界の主要な地域の歴史を網羅したいわば全世界史の叙述がいろいろ試みられてはきた。
しかし、従来の西洋史を核とし西洋的近代化を歴史発展の指標とする【世界史】の枠組みにはたいした変化はみられない。
つまり、産業革命(機械制・大工場制・市場経済の工業化革命)-市民革命を決定的な指標とする〈文明化〉〈進歩・発展〉の【世界史】であった。
こういう【世界史】【世界全体史】には無理が多く、大変革期・大過渡期に入った観のある現在、過去の捕らえ方においても、現実認識への対応という観点からも、破綻を示していることは明らかであろう。
私は当面、まだ形成されていない東アジア地域世界の世界史を試行して見たいと思っている。
韓国・朝鮮のことをよく『近くて遠い国』などというが、韓国・朝鮮ばかりでなく、
日本が生まれた母胎である東アジア世界は全体としていまなお『近くて遠い』世界になっている。
つまり、かつての【西洋】、今の米欧の方が『遠くて近い』のである。
私たちは、なんとかして東アジア世界についての世界史認識を、日本を含んだ東アジア世界という感覚や意識をもちたいものだ。
そう考えたのは、東北アジア世界に共通して植生している樹木、針葉樹のひとつである朝鮮五葉松(新羅松・朝鮮松、紅松、チャッナム、ケードル)について、この針葉樹の、日本・韓国ー朝鮮・中国東北(いわゆる満州)・ロシア極東という東北アジア地域における所在、人間とのかかわりについて、調べよう、探索しようとした時、
日本を意識においた、東北アジアの諸国史、諸民族史というものも、日本と東北アジアのいずれかの民族・国家との間の関係についても、
ある程度東北アジア全体の関連を意識し、そういう東北アジア全体を視野においた東アジア史の試みも、それほど多くはないし、人間と自然とのかかわりという視野・視点を気にし始めた場合、頼るべき資料や研究、叙述がきわめて乏しいどころか、ないにひとしい、という現実にぶつかったのである。
そういう研究および情報の問題状況にはじめて気付いたのである。
東アジア史への試みなどと、気張ったようなタイトルではあるが、
そういう私たちの学問知識、世界感覚の大変な盲点がありはしませんか、という、
いわば自戒であり、誰かこういうことをやりませんか、
やらなきゃいかんのではないでしょうか、という呼びかけみたいな気持ちなのである。
ロシア極東のウラディオストークへ学会参加で行った学友二谷貞夫さんが、お土産にロシア科学アカデミー極東支部 極東諸民族歴史・考古・民族学研究所 博物館 刊行の『ロシア極東先住民』という画集というか先住民の生活・風俗・生活用具などを描いたプレート集をくださった。
このプレートは24枚あり、いずれも画家のグ・パブりシンさんの描いたもので
ある。
その一枚をここで掲載させていただいたのだが、ロシア極東の先住民であるオロチ族 The Orochi の絵である。舟で川くだりをしている家族が描かれている。犬の姿も見える。アムール河かウスリー川の支流ではなかろうか。
1808年間宮林蔵は樺太に赴き、松田伝十郎の調査に基づき、樺太が島であることを認め、再度樺太を訪ね、翌1809年北蝦夷地を出発、黒龍江(アムール河)下流を遡航し(いわゆる東韃靼探検)、交易府デレン府まで調査した。
その際、林蔵は北方先住民のひとつであるナナイ族に出会い、ナナイ族から彼らの特産である朝鮮五葉松製舟艇(丈夫で長持ちするという定評のある)を購入していると,『東靼紀行』に記している。
挿絵は,北方先住民でナナイ族とともに、いわゆる南ツングース満州グループに属するオロチ族の家族が犬も連れてアムールかウスリーの上流かそれらの河川の支流を下っている場面である。
舟艇の耕造,一家の風俗,自然景観などが細密にグ・パブりシンの筆で描かれており、もちろんロシア極東の自然や民族を長年調査研究してきた専門家の考証を経ている学術的な絵である。
北方民族の船,舟艇については,加藤九祚氏の東靼紀行研究にもとりあげられているが,網走にある道立北方民族博物館が1995年に行った『北方民族の船ー北の海をすすめー』で扱っている。
残念ながらその特別展図録(65頁)は品切になっていて,入手できなかった。
なお,挿絵のオロチ族も私のホームページの東アジア世界史の試みに収めた【朝鮮五葉松への旅】で少し取り上げたナナイ族も日本史でいうところのサンタン人(山丹人)であり,いわゆる鎖国を破っていた北方貿易である山丹交易で日本側が出会い,交渉し取引していた相手側にこのオロチ族やナナイ族が含まれていた可能性は高いと思う。(2001.3.31記)
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