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始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(10)2012年8月20日 (月曜日)

2012年8月20日 (月曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(10)

         

 最近、孫崎享さんが『戦後史の正体』(創元社)と『転ばぬ先のツイ』(メディアパル)の二冊の本を出した。
どちらも薦めたい本だが、後者は変わった本で孫崎さんがツイッターで書き溜めたものを編集者が目をつけ、原発・TPP・日米同盟・尖閣・北方と分けて、漫画入りで面白く編んだ本である。

 ツイッターを始めたのでは孫崎さんは大先輩だが、私もおくればせながら孫娘の指導でツイッターを始めたのが2011年2月2日「3.11」の一月ほど前、それからつぶやかなった日は5日だけ、2012年8月17日で15、646件、『毎日更新ブナ林便り』でとりあげたものの題名とアドレスの紹介が主で、たまに感想をいれるぐらいだからフォロワーはそれほど増えないが、ここのところ大体三日で一人ぐらいのペースで、今405人になっている。
筆名はPINUSKORAIE(高麗松)である。
大体一日に40通から50通ぐらい、近ごろはやはり孫娘の忠告で感想をわりといれるようになった。

 さて、愛読している仙台の大沼安史さんの個人新聞『机の上の空から』の今日の分、「みんな楽しくHappyがいい」に、<“8.1福島県民の意見を聴く会全書き起し!>福島市の会社員の遠藤さんが言った、「責任が取れる人たちの手で、きちんと廃炉作業をしていかなければならないし、後世にね、きちんと安全な形で残していかなければならない。私はそういうふうに思っています。・・・・分りましたか」。
この意見はパートⅠ:「命を削ってつくらなきゃならないエネルギーなんておかしいでしょう!」→もうひとつ伊達市芳賀さんの意見――パートⅡ「今の私たちなら正しい選択ができるんだから・・・」→やはり福島県の市民からはちゃんと具体的な意見がだされている。ツイッターに戻ると、今日8月6日の孫崎享さんは官邸前デモについて、3つのツイートでこう書いている。

(「2012年と1960年――国民の怒りが政権を打倒する日」
(対談・孫崎×高橋洋一×長谷川幸洋)、本日発売『週刊ポスト』、「今回のデモと60年安保をどう比較するか」)

<孫崎:60年安保は組織化されてた学生は用意されたバスや電車でデモに行き労働者は組合活動として参加し、新聞等のメディアも支援ある意味、反体制という体制に乗せられていた。一方、今のデモは原発再稼動反対から始まり何かおかしい日本を動かしているものが何か違うぞ、と個人が判断している。だから一人一人が地下鉄でふらっと来て, デモに参加してふらっと帰っていく、かつてのように熱に浮かされて感じでない。参加者はどちらかというとクール、誰かに動かされることを最も嫌う人達が個人の判断で加わり,発言していく。デモという形式は同じでも何者かに操作されているのではなく、動かしている力が個人個人の判断、この流れはどこかで打ち切りになることはない。>

 板垣雄三が、とくに2011年から2012年1月にかけて、中東から世界各地に異議申し立て・抗議する市民として立ち上がった市民たちーさまざまな媒体に記録されたり踊ったりした映像・音声・メッセージ・プラカード・歌.・詩などから、かれらの表情・身ぶり・行動・意見・要求・願い・未来像を手がかりに整理してみて、板垣は、きわだった特徴があることを悟り、その後はその見方をたしかめる検証作業をすすめた。そして、項目別にならべてくれた。
これはすでに2012年5月3日(木曜日)の「始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】―(5) 」で紹介している。少し長くなるが大事なことゆえ再録させていただこう。前に紹介したものは『DAYS JAPAN』2012年4月号掲載のもので、いくつもの誤りがあり、のちに板垣自身の正文がPDFで掲載された。
その板垣正文による。

●“サティヤーグラハ”(サンスクリット語起源の言葉、真理への執着・こだわり=愛と勇気)の運動によって、世界変革と自己変革を同時並行ですすめる非暴力の不服従をつらぬき、不正な権力に身をさらして抗議し抵抗する直接行動。この“サティヤーグラハ”は、20世紀初めマハートマ・ガンディーが南アフリカやインドで指導した解放運動において、インド人ムスリム同砲と協力する中から編み出した抵抗方式でした。暴力を絶対に使わないのは、すぐ暴力にはしるよりはるかに勇気が要る,ゆたかな愛の行為だということ、わかりますね。自分(の生き方)を変えることによって世界(のあり方)を変えよう、人間の倫理と世界の革命とを組みあわせよう、というのです。

●ネットワークとパートナーシップという組織原理で社会を築く、指揮・命令したり管理・統制したりする上下関係ばかり増やしていく社会に反対。もともと、イスラームの教える“タウヒード”(多即一、ちがいを大事にすることこそ一体性の土台)・バラバラでいっしょ・多様性あふれる宇宙の創造主を信じる)の考え方が ネットワークを世界的にひろめた歴史がありました。ヨコに(対等に・多角的に)つながり合いと相乗作用をひろげていく個人やグループのおのおのが、いつも「まんなか」性と「はじっこ」性とを同時に発揮するようなネットワークのはたらきを、これからは市民自身の手で強め{国や企業に踊らされるのではなく}世界全体で活力をもつ地域社会をめざすのだ、という方向が示されます。革命もこのやり方ですすめようとします。

●「正義・公正」と「安全・平和」を実現するため、たゆまず努力する。侵されつづけた「人間の尊厳」{人間存在の重み・一人前の誇り}・「自由と自立」・{多様性の尊重と連帯」は、気を緩めずに回復しつづけなくてはならないという感覚でしよう。そこで、植民地主義・人種差別・軍国主義{戦争と切り離せない経済・社会のしくみ}と、それらを丸ごと根っこで支えているオトコ中心主義とに、つよく反対することになります。欧米中心主義や歪んだ資本主義が、軍事力の威圧、金融操作の手品、国際機関の決定だという締め付け、マスコミの世論操縦に支えられて、資源や市場の不公正な支配にしがみつき、競争と格差を拡大して人間の生きる権利と生きがいを踏みにじり、カネ儲けのためなら生命も生態系も環境も破壊して平気、という異常な世界にしてしまったのでした。こんな迷走を正そうとする批判に対して、隙あればつけこみ騙しと妨害、気を許せないのです。

●環境との共生・共存する環境を守り育てる世界と自分を変える市民決起のなかで、いのちを大切にし、生物の多様性・文化の多様性・宇宙の多様性を尊重し、「少数者」を大事にすることが、あらためて重要視されるようになりました。生物・無生物あわせて、それぞれに違う多様な「個」が結びあい、支えあいケアしあう深い関係の総体である自然。アダムの子孫たち(バヌーアーダム)=人類は、自然への畏敬のこころをもって、環境共生に連帯し、影響をおよぼしてきた人間の責任を自覚しなおすことが強調されるのです。宇宙の「公益」に反した操作をわざとしてはならない、と。ユダヤ教やキリスト教の聖書の創世記には、人間は地上のものを「支配する」と書かれています(1章28節)。しかし、イスラーム教のクルアーンでは、人間は自然を「信託」された{お世話を引き受けて預かったものだ}が、不正や愚かしさがバレてしまうとも書かれています(33章72節)。これらの言葉をどう理解するのかも、いま問われなおす問題なのです。

●修復的正義{関係者みんなで協力して「正義」をうち立てなおすこと}を実践する何が真実か徹底的に調査し明らかにする仕事を通じて成り立つ和解や、反省・自己批判をつうじて実行されるリドレス(redress 英語でリ―もとのように・ドレス―まっすぐにする)から、是正・補償などが追究されます。正義をなしとげるには、ただ悪者を打倒して権力を奪い、排除・抹殺すればよい、とは考えず、悪には正義を明らかにするためにこそ悪として存在する理由があった、という風にも考えようとするのですね。
 新しい革命の特徴点は、まず、2011年1月~2月チュニジアの市民たちの革命への実践行動と熱望とから見分けられたものでした。ところが、共鳴・共振して世界にひろがった市民決起のなかでも、同じ特徴点を発見することになりました。また、大震災のうえに福島原発事故がつけ加わる苛酷な現実と向きあうことになった2011年の日本の社会でも、市民の動きには間違いなく共通する志向性が確認できたのです。それは、カイロのタハリール広場で脈うつ思想と響きあうばかり息づいていました。それはピタリと一致する、抑制のきいた言葉としても語られ、人々を感動させました。
 2011年9月19日、東京・明治公園の「さようなら原発」集会のステージから、ハイロアクション福島原発40年実行委員会の武藤類子さんがおこなったスピーチが、それです(武藤類子『福島からあなたへ』(大月書店、2012年1月、3~33頁)。以下は、抜き書きです。
「……この事故によって、大きな荷物を背負せおわせることになってしまった、子こどもたち、若い人ひとたちに、このような現実をつくってしまった世代として、心から謝まりたいと思います。ほんとうにごめんなさい……福島県民は核の実験材料にされるのだ。……私たちは棄てられたのだ。……
「私たちをばかにするな」「私たちのいのちを奪うな」……私たちはいま、静かに怒りを燃やす、東北の鬼です……私はこの地球という美しい星と調和した、まっとうな生物ものとして生きたいです。
……どうしたら原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのか。……だれかが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが……本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分じぶんができることを決断し、行動することだと思うのです。一人ひとりに、その力があることを思い出しましょう。私たちはだれでも変わる勇気をもっています。奪われた自信を取り戻しましょう。……原発をなお進すめようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広ひろがり、つなげていくことが私たちの力です。……怒りと涙を許しあいましょう。……手のぬくもりを日本中に、世界中に広げていきましょう。……」ここには、「人間の尊厳」や「世界変革と自己変革」の結びつきなどという言葉は、出てきません。でも、日本の社会が向き合う現実のなから、武藤類子が力強くも美しい日本語で結晶させた実践課題は、私が新しい市民革命の特質として整理していたことと、あまりにもしっくりとかさなり合うではありませんか。いま日本で、「いのちを奪うな」をもっとも敏感に、するどく、はっきりと要求して立ちあがっているのは、女性たちです。収束しない原発事故のもとで放射能汚染の危険が高い地域と、基地負担が軽くなるどころか犠牲を背負わされるいっぽうの沖縄とでは、ことにそうです。オトコ中心主義への批判が新しい市民革命の目玉だということが、日本でも浮かびあがっています。≫

以上、板垣雄三が仮設した今の世界にひろがる新市民革命の特徴は最近の日本各地域の市民の変化のなかにいろいろはっきり現れだしているといえるのではなかろうか。

                     (2012年8月17日朝)

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