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始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(7)2012年6月11日 (月曜日)

2012年6月11日 (月曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(7)

ソフトな自立・共存の人類の世界を自然と共生した緑の列島を─
1991年
二十一世紀は第三世界の世紀という提唱、2001年ツインタワー崩壊。
そして2011年東西の地殻変動・終わりの終わりと始まりの始まり─

1991年7月2日、韓国ソウルのソウル大学湖巖教授会館で日韓歴史教育セミナーが『21世紀を志向する歴史教育』という主題で研究会議を行った。
記録は、1992年11月に三省堂から西川正雄編『自国史を超えた歴史教育』として公刊されている。

まず、ご存知でない方もいるだろうし、この会議の日本側の主催者である比較史・比較歴史教育研究会は2012年今年に入って任務完了として幕を閉じたので、この“「比較史の会」とは?”から説明しておきたい。
それには、私のネットにのせておいた「比較史・比較歴史教育研究会へどうぞ」というアピールがあるので、それで説明に代えさせていただく。

≪1984年、東京駒場の東京大学を会場として私たち比較史・比較歴史教育研究会という非常に小さなグループが韓国と中国から歴史家を招いて、第一回東アジア歴史教育シンポジウムを実現しました。それから五年おきにこのシンポジウムを開催し、1999年には「帝国主義時代の理解をめぐって」という主題で、ベトナム・中国-台湾・韓国から歴史家を招き、第四回東アジア歴史教育シンポジウムを開催しました。前三回のシンポジウムの蓄積と東アジア諸国の歴史学の変化と進歩もあって、1999年のシンポジウムは見るべき成果を生み出し、21世紀へのひとつの灯を掲げたと片山誠二郎さんは賀状に書いてきました。いま、この記録は面白く読めるように 新しい構成で書き下ろしの論文を沢山加えて編集中であり、2001年中には未来社から刊行される予定です。比較史の会と略称で呼ばれている小さなグループは、会則とか規約などなく、年齢・性別・地位・学歴・職業・国籍・民族別など一切問わぬ、つまり学術サークルにありがちなヒエラルキーなど誰も気にしない集まりです。ある韓国の友人が「小さなコミューン」つまり小さな学術的コミューン(共同体)と評してくださいました。彼女は、さらにこうも言ってくれました。 

<私にはこのシンポジウムが,日本の「善きサマリア人」たちが自ら呼び水となって,アジアにおける「善きサマリア人」たちを集めたような気がした。ところが残念なことに、このシンポジウムで実現された「小さな学術的コミューン」は日本社会の中で、さらにはアジアのなかで、あまりにも少数を代表している、という厳しい現実に目をつぶっているわけにはいかない。「善きサマリア人」の「良心」は、普通の人々の「常識」になるまでは,歴史を変える力にはなれないからである。・・・>            
  
 このシンポジウムで育まれた、真のアジアの市民共同体をめざす、小さな、小さなつぼみを私は大事にしていきたい。そして特に日本の若い世代が、その先輩たち―戦後民主主義世代から安保世代、その後の市民運動世代に至るまで―の優れた伝統をもっと精力的に受け継いでいくことを切に望みたいと思う。≫


以上のような小さな会であったが、20世紀の80年代後半から90年代末まで私のひとつの生きがいでもあった。この小さな会は、日本・韓国・朝鮮・中国・ベトナムの「よきサマリア人」の結びつきで五年ごとに計四回「東アジア歴史教育シンポジウム」を催し、その記録・報告書を計六冊公刊した。

【1】『自国史と世界史─歴史教育の国際化を求めて』
             1985年、未来社。
【2】『共同討議 日本・中国・韓国─自国史と世界史』
             1985年、ほるぷ出版。
【3】『アジアの「近代」と歴史教育─続・自国史と世界史』
             1991年、未来社。
【4】『自国史を超えた歴史教育』(西川正雄編の前半─第1部)
             1992年、三省堂。
【5】『黒船と日清戦争─歴史認識をめぐる対話』
             1996年、未来社。
【6】『帝國主義の時代と現代─東アジアの対話』
             2002年、未来社。

 この会が韓国の歴史家と共同した韓国ソウルでの日韓歴史教育セミナーでは、私は基調講演というのを韓国側から指定され、共同討議への基調報告と受け止め、そのように報告を設定した。
題して「二一世紀を臨む歴史教育における自国史と世界史─学と知転換の場としての世界史学―」である。

私は、成蹊・中央・東洋・日本女子などいくつかの大学で{史学」「世界史」の講義を方法論の学習として試み、1995年にお茶の水書房から『世界史学講義(上巻)西欧文明形成の暗黒』・『世界史学講義(下巻)第三世界と世界史学』としてまとめ公刊していた。つまり、自らを上原専禄先生に学んだ「世界史学的方法」への道程についたと自覚したのである。
この世界史学への道程はまだ始まったばかりと自覚する。
 もうひとつ勉強を始めたばかりなのは、イスラーム思想、イスラーム学である。
板垣雄三や三木亘という畏友・先達から学ぶことは続いていたが、同じく優れたイスラーム学者である黒田寿郎さん、それに『商人たちの共和国』(藤原書店)を出されたばかりの奥様である黒田美代子さんから新たに刺激を受け、学ぶところが大きかった。ソウルでの学と知の転換という提言の背景になった学習である、いわゆる講演=報告そのものは前掲書あるいは拙著『世界史学講義 下巻』の「第二十三章 世界史学」への道程の始まりで、「東アジア国際討議への報告」に収録してある。
韓国でも学び、ハングルおよび韓国に通じた畏友横田安司さんが私の報告をうまく要約されているので、ここではその要約によりたい。横田さんの要約は、『自国史を越えた歴史教育・西川正雄編』(三省堂、1992年収録)の横田安司「歴史教育と国家・民族」の154頁~157頁にある。

<吉田悟郎は、基調講演で、現代世界の危機と混沌の本質を、ともに西欧近代文明に起源をもつ第一世界(欧米勢力)と第二世界(ソ連などの社会主義勢力)の「第三世界化」ととらえる。これまで第一世界と第二世界は、「冷戦」というかたちでたがいに対立しあいながら、時には協調しあって第三世界を支配してきた。ところが、この過程で第一世界も第二世界も、自らのなかに抑圧され切り捨てられた諸社会、諸地域、諸民族を生み出した。これらは第一世界・第二世界の内部にできた第三世界であり、これらの人々の異議申し立てが第一世界・第二世界の第三世界化なのである。この傾向は、一九世紀末以来の第一世界の世界支配─やがて第二世界が加わる─に抵抗しつづけてきた第三世界の本格的な異議申し立てと連動しあっており、ここに今日の危機の本質がある。それは、西欧近代文明の支配の崩壊としての「破局」といってもよい。それでは、この破局から次に何が出てくるのか。吉田は、「全世界および世界史の第三世界化」であるとして、第三世界の視点からの世界史認識を提唱する。そのためにはまず、西欧近代文明がつくりだした「国民国家」の枠組みを克服することが必要である。吉田は、第三世界との対比で、西欧近代的国民国家の枠組みをつぎのように列挙する。


①異性・個別性などを排除し否定する、一元性・均質性・整合性。
②多元的多層的な関係性・多義性・相互浸透性・周辺性などを否定し、
敵視し、体系性のみを目指す。
③無境界性に対立し、これを抹殺して境界性を固めようとする。

 こうした枠組みを確立することによって生まれた西欧近代強国は、全世界にわたって極めて抑圧的・階層的・序列化的構造をつくりあげた。これが西欧近代資本主義的世界秩序であり、一九世紀から二○世紀にかけて、これら強国に生まれた帝国意識・大国意識がこの枠組みを強化した。脱亜入欧的近代化の道をたどり、欧米強国に追随して強国の列にのし上がった日本・日本人は、西欧近代国民国家の枠組みにとらわれ、今日の「破局」の意味がつかめないでいる。今日の「破局」に主体的に立ち向かっていくためには、国民国家の枠組みの徹底的な相対化と、これを支えてきた西欧近代文明総体(その日本的ヴァリエーションも含めて)の内在的検討が必要である。それはまた、西欧近代文明を構成している人間優越主義(自然と人間の分離)、科学万能主義(西欧近代科学の独走・理性の絶対化)、工業主義・生産力主義(資本主義および従来の社会主義)、いわゆる市民社会とナショナリズムの徹底的再吟味にほかならない。

こうした作業を通して、吉田は、これらの観念が、ヨーロッパ・ヨーロッパ人の自己確認のための思考枠、アジア=東方世界を管理・指導するための世界観・歴史観にもとづいていること、「自由」「民主主義」「法と正義」「国際秩序」「平和」「人権」などは人類普遍のものではなく、特殊な西欧近代に由来する一つの価値群・理念群に過ぎないことを明らかにし、第三世界的諸特徴、すなわち差異性・関係性・相互浸透性・無境界性などの観点から見直すべきことを主張する。第三世界とは、「自分の国をもてない人々、自分の国だけに縛られない人々、あるいは自分の国にこだわる場合でも自分たちがこれからかちとろうとしている国が別にあると考えている人々、自分の在り様を政治的に選び、闘い取っている人々の世界」である。
それは時々刻々と新しい民族が形づくられるアイデンティティ複合」の世界である。

 吉田は、ハードで一元的な西欧近代的国民「国家」にソフトで複合的な第三世界的「民族」を対置し、そこに世界史と自国史の統一的把握の場をおき、そこから世界の人間の共存の未来を見いだす努力を試みようと述べたのである。>1991年7月ソウル大学湖巌教授会館での日韓歴史教育セミナーの基調講演を準備した、その時は世界史でいえばどういう時であったのか。1989年ポーランドはじめ東欧諸国の一連の民主化革命のなかでベルリンの壁も崩壊した。

アジアでは同年6月4日、天安門事件がおきている。第二次大戦中ナチスドイツとの密約で非合法に合併したバルト三国もソ連軍の介入を排して1991年独立した(当時、在露日本大使館の分析官であった佐藤優の『自壊する帝國』(新潮社、2006年)が裏話をルポしており面白い)。
1989年にはソ連軍は8年半戦争を続けたアフガン戦争の泥沼から撤退を完了しているが
、1991年の夏、ソ連守旧派の党官僚による8月クーデターの失敗はソ連とソ連共産党の崩壊を決定的にした。ロシア共和国、白ロシア、ウクライナ三国の国家共同体をつくり、ソ連に代わる枠組みで切り抜けようとし、ソ連の存在意義はなくなった。
1991年12月25日、ゴルバチョフはソ連大統領を辞任しソ連は完全に解体消滅した。

 中東ではイラク軍のクウェート侵攻により米国ひきいる多国籍軍が編成され、湾岸戦争が始まり、多国籍軍の圧倒的勝利でクウェートは「解放」され、停戦となった。戦費五分の一を負担した日本は、戦争終了後に自衛隊の海外派遣に踏み出す。この間、後に注目される中東における大事なことが進行していた、アフガンからソ連軍を追い出すためにCIA とパキスタン情報局がムジャヒディーン(イスラーム義勇兵を訓練し養成し武装化させ、ここにアルカーイダが生まれたことと、このアルカーイダの活動の中からビン・ラーディンが台頭した(ビン・ラーディンは1989年2月のソ連軍敗退撤退後、反米活動に転じた)ことである。
1991年7月という時は、世界史の一端をふりかえると、このようなピークであり、今日につながる要因が見てとれる。

この1991年、私は70歳、翌1992年成瀬治さんに代わって比較史・比較歴史教育研究会の代表をつとめる。それから十年経過して2001年は9.11事件(並行ハイジャック・NYのWTCツインタワー崩壊とワシントンのペンタゴン破壊という連続テロ事件)をきっかけに、米英などがアフガニスタンでイスラーム世界相手の出口なき「反テロ世界戦争」を開始。
日本は後方支援の名目でインド洋・イラク・クウェイトへの自衛隊派遣へと踏み込んでいく。
 そして、それから十年、2011年チュニジア・エジプトはじめ中東で新市民革命(板垣雄三の「世界を変える新市民革命の足音」
DAYS JAPAN”Vol.8 ,No.9、『世界』2011年9月号)が拡大。
そのさなか東日本大震災と福島第一原発事故(メルトダウン)とが発生。
米国は債務不履行に陥る危機と向き合い、世界を動かすドルの威力は失墜。
以後、米国の世界覇権はガタ落ちを続ける。

(拙稿「極東の地殻変動と中東の地殻変動」「終りの終りは今始まったばかり」)私はこの前年2010年12月に、“Form高校生新聞”に、1991年のソウルでの報告にも触れた「自由・平等・民主・人権について思う」を投稿している。まず、日本の宗主国である米国は、反テロ戦争の継続の中で自由も民主も平等も人権もともに衰弱したが、米国市民もただ我慢してはいなかった。Occupy運動、1%の独裁と横暴に抵抗して99%の抗議と改革の声をあげつつある。
 西欧ではスペインのM12-M15全国的な怒れる市民の「真の民主主義」を求める決起(RAMON BOOKサイト、童子丸開さんのルポ)、ギリシアにおける急進左翼連合の台頭,ドイツでも“ブロキュパイ”のデモがフランクフルトのヨーロッパ中央銀行前で銀行の貪欲を批判し、同じく政府の緊縮財政に苦痛を与えられているギリシアなど他のヨーロッパ諸国の市民との強い連帯を叫ぶ。西欧の“99%”は、欧州危機の本質は投機の問題もあるが、緊縮財政というよりもサブプライム・バブル崩壊以降の銀行の不良債権処理の失敗にあることを見抜いている。世界の金融資本はバブルの崩壊→金融緩和政策→次のバブルの発生→バブルの崩壊という悪循環を繰り返してきた、そのたびに異常な好景気と異常な不景気をくりかえし、市民の生活を混乱させ多大の苦しみ・絶望を与えてきた。
生産性を向上させ実体経済を育てることこそ99%の市民には大事なのに。銀行、投資企業、さまざまな金融機関は、零細あるいは中産の市民の住宅ローン、あるいは学生ローンなど、年金や先物を賭けた冒険的な預金などをかき集め、巻き上げて太ってきた。それに対して金融取引税=ロビンフッド税の要求が、富や金を巻き上げられた中産・零細ともに没落しつつある“99%”から出てきたのも当然である。
あの米国でも全米看護師聯合(National Nurses United)が、ウォールストリートに対するロビンフッド税を要求し、シカゴでG8サミットにあわせてデモ行進を行なった。米国のウォール街占拠運動は2011年9月以来久々の左派の大衆運動としても継続している。
 2011年9月30日のNY市民総会での公式声明にいわく、「アメリカと世界の富が1%の人たちに握られていること、この富の偏在こそ、あるいは富の偏在がもたらす現代の社会関係こそ、問題である」とし、その変革を主張している。

同時に、企業と企業活動については、民主主義的政府の正統な権力は人民に由来するが、企業は誰に同意を求めることもなく人民や地球から富を簒奪しており、民主主義のプロセスが経済権力によって決定されている間は、いかなる真の民主主義も実現不可能である、という現実を認識している。
人民よりも自分たちの利益を、公正よりも利己的な関心を、平等よりも抑圧を優先するさまざまな企業が私たちの政府を動かしているこのとき、あなたがたによびかけている。「私たちは・・・ここに平和的に集まっており、それは私たちの権利である。世界の99%の人たちは、世界の企業勢力によって不当な扱いを受けている。
つまり、何よりも利益を追求する世界の企業活動が、富を簒奪し政府を動かし、人民の権利を踏みにじっていること。そして、占拠運動はどのように運営され、支持され、広がったのか? 自主的自発的な人々の連合体として運営されている。そして、市民の支持を受け、増え続けている。その多様な参加者。カナダでも市民・学生・女性の決起が見られる、毎日のそういう模様はいくらか“DEMOCRACY NOW”サイトなどで窺い知られる。そして中南米では、ボリビア・ベネズエラやチリその他で同様な変革への動きが始まっている。
これは中南米の政治経済サイトでやはり報道されている。
こうして、2011年から2012年にかけて、アラブの春にはじまり、ヨーロッパ。カナダ。米国、中南米と改革と変革を求める99%の市民の決起がひろがっており、それらの共鳴、共振の相互関係は、かつて人類史には見られなかった新しい夜明けを予感させるものがある、日本の、福島の女性たちが先頭を切った反原発・生命と権利を求める運動は、以上のような世界の春に合流し、その一翼をになうことが世界から期待されるようになりつつある。

 水俣の闘い、沖縄の闘いもこういう日本の市民たちの覚醒と決起を支える闘いである。
板垣雄三の“DaysJapan”2012年4月号の「十代の若者たちにあてた手紙」のよびかけ、ティーンエイジャーズへのアピールも、こういう世界史、人類史のあけぼののなかで起草されたものであろう。
1991年7月ソウル大湖巌教授会館での日韓歴史教育セミナー冒頭の私の基調報告(基調講演と指定されていたがおこがましいので)は、二十一年の経過を経てどれだけ有効であったのか。
提案の「第一・第二世界の第三世界化」という見通しと「21世紀の予想される第三世界の本格的異議申し立て」という予測と判断は、2011年中東での地殻変動に始まる“アラブの春”からヨーロッパ・中南米・カナダ。アメリカにひろがる、いわば“99%”の市民の決起と異議申し立てとなり、2012年5月、今も、継続・成長しつつあるではないか。
「西欧近代的国民国家の枠組みの特徴」:としてあげた諸特徴はまさに自分たちを縛る桎梏と自覚され、それに対比して「第三世界的特徴」として挙げた「ソフトな人類の諸特徴」として挙げたことは当時イスラーム学者黒田寿郎さんやかねがね私淑していた中東学の先輩板垣雄三に学ぶこと大きかったが、2011年から顕在化したアラブ・イスラームの市民革命の随所に示されているではなかろうか。日本の脱原発の市民運動にもそれに近い諸特徴が見られるのではなかろうか。
さて、「ハードで一元的な西欧近代的国民国家にソフトで複合的な第三世界的市民を対置し」「世界史と自国史の統一的把握の場をつくる」「そこから自然・環境とも共生する世界の人類の共存共栄の未来を拓こう」という提唱はどうなっているであろうか。
狭く見れば、依然として明治以来の「特殊な国民国家」の呪縛は堅く根を下ろし、さらに狭く歴史研究・歴史教育の場を見れば、牢固たる「官許歴史・官許世界史+官許自国史」という堅固な壁はそう揺らいでもいないのではなかろうか。
私のささやかな提唱は、所詮「蟷螂の斧」にすぎなかったのであろうか、わが国については。  

               
2012年5月27日 結婚記念67年6月3日を前に  よしだ ごろう


『参 考』
●拙著『世界史学講義 上 西欧文明形成の暗黒』
 御茶ノ水書房1995
●同上『 下 第三世界と世界史学』同上
その中の第二十章・第二十一章 第三世界と世界史学
第二十二章 世界史学とはどういう学問か?
第二十三章 世界史学への道程の始まりでー東アジア国際討議への報告ー
1.二一世紀を臨み自国史と世界史を考える-
            学と知転換の場としての世界史学
2.世界史像の再構築に向けて-近代化は何時何処で始められ、
            誰によって横取りされどう変質していったか
●報告・提案 世界史教育四十五年と世界史学 
法政二高育友会歴史教育研究所で 『歴史教育研究』77号所収
●拙稿 産業革命・市民革命世界史 
 歴教協編『あたらしい歴史教育』の『世界史とは何か』
 大月書店1993所収
●拙稿 世界史研究および世界史教育の問題点 
 歴科協編『歴史科学大系31歴史教育論』所収1994
●吉田悟郎報告 中国歴史教学研究会年会(承徳)で、
 東アジアから見た十三世紀世界史をどう伝えるか1995
●同上 京都真宗大谷派教学研究所・蓮如遠忌五百年に向けての
現代市民社会グループ研究会で民学としての世界史学への道程
●座談会{世界史の自主形成」での発言 歴教協編
『歴史教育五○年のあゆみと課題』未来社1997
●拙稿 世界史教育四十五年と世界史学 
『展望 日本歴史 2 歴史教育の現在』東京堂出版2000
●拙稿 世界史の野蛮化・地獄化の<終りの始まり。2008.04.16
●拙稿 「自由・平等・民主・人権」について思う 2010.12.15
●拙稿 極東の地殻変動と中東の地殻変動-2011年という画期
 2011.04.13および2011.04.14
●拙稿 終りの終りは今始ったばかり
●拙稿 始まりの始まりも今始まったばかり
●拙稿 グローバリゼーションとは 
歴史教育体験を聞く-吉田悟郎 2003.2004 
 上越教育大『歴史教育史研究』第4号
●ネット 自分史略年譜 とくに時々の問題意識 さまざまなテーマ 注意
●ネット 吉田悟郎・ブナ林便り・転にいくつか論考がある
●拙稿 朝鮮五葉松への旅-東北アジア史へのアプローチ
「ブナ林便り・転」に収録

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