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始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(6)2012年5月16日 (水曜日)

2012年5月16日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(6)

「巷間、“アラブの春”については、ねじ曲げた「お話」や「想定外」といった言い方が多いが」として、板垣は言う。

「ほんとうは、2000年のパレスチナ人インティファーダ(蜂起)を皮切りに、革命にむかう運動の積みかさなりの前史があったのです。私(板垣)は、それをずっと観察してきました。」ここで2011年に中東で起きたムワーティン=市民革命について考えるための重要な着眼点を挙げることにします。これは中東を知るためのカギとしても役立つでしょう。

◆革命は、米国の覇権とイスラエルの横車とを批判する運動の爆発。それらを支え、それらとこっそり手を結んで生きのびてきたアラブ諸国の政府が、はげしい抗議の突き上げに揺さぶられる。だから、この革命は一国ごとの民主化より、世界の不公正な仕組みの変革をめざすもの。

◆そのように広範囲にひろがる政治変動が引き起こされる土台は、パレスチナ問題。(私が20世紀の70年代から板垣らに学び、「パレスチナ問題は、今や激変する世界史の核芯だ」と感覚的にいってきたもの)。それは、宗教や民族のあいだの紛争ではなく、植民地主義の支配 対 それに対するレジスタンス=抵抗。つまり、欧米が殖民国家としての「ユダヤ人の国」イスラエルをつくり支えるが、そのイスラエルによって排除・追放されるパレスチナ人が民族浄化に抵抗するという重層の構図。

◆そのようなパレスチナ問題が生まれる根源にあるのは、ヨーロッパ(欧米)が歴史を通じて抱え込んできた反ユダヤ主義(ユダヤ人いじめ、差別、迫害)。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の「償い」だと言ってパレスチナ人に犠牲を押しつけながら、ユダヤ人を隔離し棄民するイスラエル国家をつくる。この偽善のボロを出さぬため、欧米は、人工国家イスラエルをまもる。イスラエルは中東で欧米の利益をまもるため、軍事国家としてニラミをきかす。

◆「パレスチナ問題は、植民地主義を「仲直りと平和」や「民主化」の問題にすり替えてみせるバーチャル装置だが、パレスチナ人同胞の苦難を自分の苦難と感じる世界中のイスラーム教徒を騙せない。そこで,イスラーム教徒をテロ容疑者に仕立てる「反テロ戦争」をグローバル展開する。「反テロ戦争」は根拠が危ういイスラエル国家の危険を管理する防衛戦争であり、全世界を混乱に陥れ、パレスチナ問題の扱いを全人類に肩代わりさせて欧米は道徳的責任をまぬがれる、「自己破産」のための戦争でもある。」 そう、板垣は説く。この脳みそをフル回転させないとわからないカラクリ、何度か読み返してもらえば、だんだん事柄が見抜けるようになると思います。わかってしまえば、次のような謎が自然に解けるはずです。それでも、まだ残る疑問については、自分で調べ、考えてください。


■ 中東で市民の立ちあがりが、国を超えてひろがったのは、なぜか?
■ パレスチナ問題が、全世界を巻き込む問題であるのは、なぜか?
■ 欧米の国々が、中東やイスラームに とかく干渉がましいのは、なぜか?
■米国とイスラエルが、やたらと戦争をしたがるのは、なぜか?

 1979年、イラン革命―米・イスラエルがイランから追い出される―米国はイスラエルとエジプトに国交結ばせ、二国拠点に中東支配再編成―2001年以降の「反テロ戦争」(アフガニスタン・イラク・パレスチナなど)―米国覇権の衰えとイスラエル国家の危機とめどなく進行―イスラエルのパレスチナ人しめつけはアパルトヘイト時代の南アも顔まけの息を飲むむごさ―ヨルダン川西岸では入植地拡大、隔離壁を張り巡らせ水源を奪い、ガザ地帯は封鎖された幽閉地にされ、物資の流れを断ち、住民の生命を脅かし、爆撃と暗殺作戦―イスラエルに協力してガザを封鎖するムバーラク政権への市民の抗議は、自分の人間らしさを取り戻す行動となる―こうして、中東の革命の嵐がおきた。
 ムバーラク政権は倒されたが、今もつづくシオニスト・イスラエルのパレスチナ人、ガザや西岸そして東エルサレムに対する形容できないような暴虐野蛮な行動は、毎日の『ブナ林便り』のBOICOTTIL サイトやIMNECサイトそしてTHE ELECTRONIC INTIFADAサイトを見れば、ますますひどさを増している。まさに、<野蛮化・地獄化>した<近代世界史>の極致であり、世界の平和と自立・公正を愛する市民たちにとっても最大の汚点である。私も歩行不全でなかぅた若い時代にBoicottilの抗議行動に参加した。1879年以来、米国は、対外援助の全体の約半分をイスラエルとエジプトに注ぎ込んできたのだから、エジプトの革命の意味は絶大である。米国の衰退とイスラエルの孤立とはさらに加速するだろう。こうして、中東の市民たちの要求は、世界のありかたを変革することなのです。

 中東で、米・欧・イスラエルが主人顔でもてあそぶパレスチナ問題の不公正さは、世界中で植民地主義と人種主義・軍国主義がつくりだすあらゆる紛糾(こんぐらかり)のハブ(中心)のような位置にあります。パレスチナ問題が、これまでのありとあらゆる思い違いへの誘導・誘惑を乗り越えて、あらためて不公正・不正義の世界の象徴的「結び目」と意識され始めたのです。ホロコーストにいきついた欧米社会のユダヤ人差別の歴史に加えて、パレスチナ人の世界離散と「ユダヤ人国家」(人種主義+ポストコロニアル植民地主義の国家)とを積み増ししてしまった欧米中心主義。それは、イスラーム憎悪の「反テロ戦争」によって、いよいよ末期的な状態にいたっています。
 このことが、イスラエル国家に反対するユダヤ人を含めて、ひろく世界の民衆の間で直感的に見抜かれるようになりました。中東で始まった新・市民(ムワーティン)革命が人類史の新しい段階を開くとき、ムワーティンが市民の元祖だということが顧みられることになるでしょう。中東の社会は、古来、都市・商業・政治を生きるなかで、個人主義・合理主義・普遍主義をはぐくみ、ネットワークとパートナーシップの組織のあり方を活用してきました。イスラームは、そのような生き方を思想と実生活の体系としてまとめてきたものといえます。その基本であるタウヒード(多即一)の理念は、イスラームが世界史的に展開させはじめた超近代性(スーパーモダ二ティ)の土台なのです。ヨーロッパの近代はそのような展開のローカルな(ヨーロッパという小半島)現れでした。政治社会を成り立たせる「社会契約」は、のちにヨーロッパ人の理論家たちが理屈だけこねますが、7世紀の契約文書として預言者ムハンマドが締結した「メディナ憲章」の記録が残っています。ところが、ヨーロッパはイスラーム文明から多くを学習することによって拓いたヨーロッパの近代を、世界史のなかの排他的な中心=模範としてすえつけ、近代はヨーロッパからひろまっていくのだという「語り」を武力でもって裏付けるようになりました。これが欧米中心主義です。
 イスラーム教徒たちも、その勢いにおされて、タウヒードの精神を弱めてしまったのでした。いま、<世界を変える>と<自分を変える>が同時に強調されるようになったのは、そのためです。タウヒードの働きを活発にすると、世界は「欧米 対 イスラーム」といった二項対立で成り立ってなどいないことが、はっきりしてきます。事実、世界中で市民たちの立ち上がりの多角的な共鳴・共振が、無限大のネットワークを形づくりつつあるではありませんか。以上が、板垣が「どうしても言わなくては」と感じたパレスチナ問題の位置づけである。私も20世紀の70年代から板垣のパレスチナ問題との取り組みのあとについて、細々とではあるが中東―イスラーム、そしてパレスチナ問題の学習を続けてきたと思う。そしてそのころから、<パレスチナ問題こそ世界史の核心ではないか>と考え続けたのである。そして91歳にもなった老輩として21世紀の初め、<欧米中心主義>の世界史にわれわれが完全にいなされている、飼いならされているという惨状をつくづく感じるのである。世界史を探って半世紀以上、欧米中心の<世界史>こそ<世界史>だ、それ以外の歴史などあるはずがないと信じている人が殆どであること。この壁の厚さ、重さ!蟷螂の斧のたたかいはまだ始まったばかりだ。そして、歴史の進歩、変遷についても「先進」欧米基準という観念が日本史、自国史を考える場合も変わらず、原始―古代―中世―近世―近代―現代という時代区分やその社会構成、文化変容の基準についても欧米に「右へならえ」であること。進歩―先進/後進のものさしは明治以来、欧米を手本にしてきていることは庶民大衆を含めて変わらないのではなかろうか。(つづく)
    (次回は「私とパレスチナ問題」-その一 私の十字軍学習-)

参考

THE ELECTRONIC INTIFADA
IMNEC

boycotti

■パレスチナ問題解決の必須条件としてイスラエル民衆の目覚めと決起がある。
拙稿ネット イスラエル人の目覚めー軍務拒否運動などー

■シオニスト・ユダヤ人の現代イスラエル建国は一種の十字軍だった
フィリピン南部では欧米キリスト教背力の来寇前にはイスラームがひろがり始めていたマニラでもムスリムが南洋日本人町の日本人と軒を並べて店をはっていた。
その後、南部の残るムスリムに対する北を占拠したキリスト教軍隊の南部への十字軍はずっと、今でも続けられている。
拙稿ネット 21世紀のモロ戦争ーフィリピン南部、ミンダナオ・バシランとグリーンベレー

●「高橋和夫の国際ブログ

インティファーダーパレスチナ人のたたかいー  
※ガザの悲劇から見えてくるもの一二三 
※瀕死の聖都エルサレム 一二三四 
※あるガザ・ストーリー 
※ガザ・キッズの凧
※街頭で小物を売る子供たち
以上四篇のネットはブナ林便り保存版に収録。
(2009年4月~2010年2月にかけ不定期で書いた「一日一言」より。)

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