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始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(5)2012年5月 3日 (木曜日)

2012年5月 3日 (木曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(5)

         


 板垣は、私の言う<始まりの始まり>をもっと論理的・歴史的―世界史的に明確にする仮設を出してくれた。
板垣仮設をも少し詳しく見てみよう、まず、かれは<あたらしい市民革命>の<目標>について、五つの目標を整理し仮設する。
確かに、童子丸開 のバルセロナ報告『15M キンセ・デ・エメ』というスペインの2011年5月市民蜂起現地報告や田中龍作 のローマ(原発の国民投票時 )やNY(オキュパイ―1%の横暴に抗議する99%の市民行動)の現地報告を、<ブナ林便り>や<ちきゅう座>のサイトで読んだ人はこれに近い感想を持ったにちがいない。

まず、板垣が第一にあげている「サティヤーグラハ」について

●サティヤーグラハ(サンスクリット語起源の言葉、真理への執着・こだわり=愛と勇気)の運動によって、世界変革と自己変革を同時並行ですすめる非暴力の不服従をつらぬき、不正な権力に身をさらして抗議し抵抗する直接行動、「自分の生き方を変えることで世界のあり方を変えよう、人間の倫理と世界の革命とを組みあわせよう」というのである。
マハートマ・ガンディーの南アフリカ・インドで指導した解放運動に、インド人ムスリム同砲と協力する中から編み出した抵抗方式。―こう、板垣は説明する。
 非暴力で不服従という言葉は聞いたことがあるだろう。アヒンサー(不殺生,非暴力)の思想も、ここにつながる。私が生きてきた91年間、シベリア出兵から今のイラク・アフガンの戦争、南北スーダンの戦争まで戦争の絶えた事はあっただろうか。暴力・武力は対抗的な暴力・武力によっては一掃されることはない。暴力は,一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。
マハートマ・ガンディーはいう、「非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するよりも雄々しいことを、信じている」「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです」。「現代の戦争の主な原因は、地上のいわゆる弱い民族を搾取しようとする非人間的な競争にあるのではなかろうか。」
中島岳志の『ガンディーからの“問い”―君は「欲望」を捨てられるか』(日本放送出版協会、2005年)という本や、子供向けには目良誠二郎の『平和と戦争の絵本(4)非暴力で平和をもとめる人たち』大月書店、2003年)という良い本がある。
 第二の目標として板垣が整理し指摘したのは次のことである。架空の理屈や議論というようなものではない、先にあげたような市民蜂起・市民行動のなかで、おのずから湧き出ている市民たち自らの生み出した行動様式ともいえるものなのである。

●ネットワークとパートナーシップという組織原理で社会を築く、指揮・命令したり管理・統制したりする上下関係ばかり増やしていく社会に反対。もともと、イスラームの教えるタウヒード(多即一、ちがいを大事にすることこそ一体性の土台――バラバラでいっしょ・多様性あふれる宇宙の創造主を信じる)の考え方がネットワークを世界的にひろめた歴史がある。ヨコに(対等に・多角的に)つながり合いと相乗作用(かけあわせをひろげていく個人やグループのおのおのが、いつも「まんなか」性と「はじっこ」性とを同時に発揮するようなネットワークのはたらきを、これからは市民自身の手で強めていく(国や企業に踊らされるのではなく)世界全体で活力をもつ地球社会をめざすのだという方式が示されている、革命もこのやり方で進めようとしています。
-まさに、われわれの「オトナ~そしてオトコ中心社会ではない、われわれにとってはこれから創造してゆくべきいわば未来社会ではあるまいか。

板垣があげている三つめの目標は、

●「正義・公正」と「安全・平和」を実現するため、たゆまず努力する。
侵されつづけた「人間の尊厳」・「人間存在の重み・一人前の誇り」・「自由と自立」・{多様性の尊重と連帯」は、気を緩めずに回復しつづけなくてはならないという感覚でいよう。そこで、植民地主義・人種差別・軍国主義{戦争と切り離せない経済・社会のしくみ}と、それらを丸ごと根っこで支えているオトナ中心主義とに、つよく反対することになります。
欧米中心主義や歪んだ資本主義が、軍事力の威圧、金融操作の手品、国際機関の決定だという締め付け、マスコミの世論操縦に支えられて、資源や市場の不公正な支配にしがみつき、競争と格差を拡大して人間の生きる権利と生きがいを踏みにじり、カネ儲けのためなら、いのちも生態系も環境も破壊して平気、という異常な世界にしてしまったのでした。
こんな迷走を正そうとする批判に対して、隙あればつけこみ騙しと妨害、気を許せないのです。――大資本・大企業の横暴とか、とくに金融操作の手品(詐欺行為)、といってもピンと来ない人も多かろう。
最近は、イギリスの優れたジャーナリスト、ジャクソン・ニコラウズの書いた『タックスヘイブンの闇―世界の富は盗まれている!』、(朝日新聞出版,2012年)という好著も出ている。童子丸開の現地報告スペインの2011年5月の全国的市民蜂起もこの大銀行・金融資本の詐欺行為に対する99%市民の全国蜂起で、まだわれわれ日本人の気づいていない問題でもある。

第四に板垣が指摘するのは、

●環境との共生・共存する環境を守り育てる世界と自分を変える市民社会のなかで、いのちを大切にし、生物の多様性・文化の多様性・宇宙の多様性を尊重し、「少数者」を大事にすることが、あらためて重要視されるようになりました。生物・無生物あわせて、それぞれに違う多様な「個」が結びあい、支えあいケアしあう深い関係の総体である自然。アダムの子孫たち(バヌー アーダム)=人類は、自然への畏敬のこころをもって、環境共生に連帯し、影響をおよぼしてきた人間の責任を自覚しなおすことが強調されるのです。宇宙の「公益」に反した操作をわざとしてはならない、と。ユダヤ教やキリスト教の聖書の創世記には、人間は地上のものを「支配する」と書かれています(1章28節)。
しかし、イスラーム教のクルアーンでは、人間は自然を「信託」された{お世話を引き受けて預かったものだ}が、不正や愚かしさがバレてしまうとも書かれています(33章72節)。これらの言葉をどう理解するのかも、いま問われなおす問題なのです。―自然との共生である。われわれの列島で破壊され、過疎化―均された大都市一元化につぶされた、かつての人間性や地方性を失った全国総ての「地域」を思え!

-そして、最後、第五に板垣のあげたものは、

●修復的正義{関係者みんなで協力して「正義」をうち立てなおすこと}を実践する何が真実か徹底的に調査し明らかにする仕事を通じて成り立つ和解や、反省・自己批判をつうじて実行される リドレ(redress 英語でリ{もとのように=人間のよい本姓を理解して}・ドレス(まっすぐにする)から、是正・補償}などが追究されます。正義をなしとげるには、ただ悪者を打倒して権力を奪い、排除・抹殺すればよい、とは考えず,悪には正義を明らかにするためにこそ悪として存在する理由があった、という風にも考えようとするのですね。
 以上は、新しい市民革命の目標・理念あるいは特性として、私(板垣)が注目した特徴点です。
私は、世界史上「ブルジョア革命」(フランス語のブルジョアは「まちの大衆・市民」)と呼ばれる17世紀以後~20世紀の民主主義革命「社会主義革命まで含む」革命に対して, 革命を革命する 新しい市民革命の「ムワーティン革命」(アラビア語のムワーティンは「住みなす大地(ワタン)と結びつく人々」 と呼びたいと思います。
新しい革命の特徴点は、まず、2011年1月~2月エジプトやチュニジアの市民たちの革命への実践行動と熱望とから見分けられたものでした。ところが、新しい革命志向と共鳴・共振して世界にひろがった市民決起のなかでも、つぎつぎ同じ特徴点を発見することになりました。
 また、大震災のうえに福島原発事故がつけ加わる苛酷な現実と向きあうことになった2011年の日本の社会でも、市民の動きには間違いなく共鳴する志向性が確認できたのです。それは、カイロのタハリール広場で脈うつ思想と響きあうばかりか、息づかいまでピタリと一致する、抑制のきいた言葉として語られ、人々を感動させました、9月19日、東京・明治公園の「さようなら原発」集会のステージから、ハイロアクション福島原発「せかいへ40年実行委員会の武藤類子さんが行ったスピーチがそれです。ここには、「人間の尊厳」や「世界変革と自己変革」の結びつきなどという言葉はでてきません。でも、日本の社会が向きあう現実の中から。武藤類子さんが力強くも美しい日本語で結晶させた実践課題は、私が新しい市民革命の特質として整理してみていたことと、あまりにもしっくりとかさなり合うではありませんか。

 いま日本で、「いのちを奪うな」をもっとも敏感に、するどく、はっきりと要求して立ちあがあっているのは、女性たちです。
収束しない原発事故のもとで放射能汚染の危険が高い地域と、基地負担が軽くなるどころか犠牲を背負わされるいっぽうの沖縄とでは、ことにそうです。
オトコ中心主義への批判が新しい市民革命の目玉だということが、日本でも浮かびあがっています。
では、中東から世界へと市民の立ちあがりがひろがりだす その矢先、フクシマ原発事故が起きたことについて、どんな意味、どんな教訓を、読みとればいいでしょうか。真実の隠蔽・歪曲、虚偽とごまかし、いじめといやがらせ、暴力と排除・・・・このようなことが罷りとおる日本が、地震・津波という自然の戒めを受けただけでなく、人類を巻き込む核災害をひき起こしてしまいした。
しかも、それは、不正義・不公正の世界にけじめをつけ世界を変えようとする市民(ムワーティン)革命が中東で燃えあがり、これと呼応する市民の立ちあがりが世界全体にひろがろうとする、折りも折り、もちろん、日本の原発事故は世界の市民の立ちあがりを一層促進します。と同時に、この核災害にどう取り組むか、が人類史の新時代をひらくムワーティン革命にとって、最初の試金石となるのです。
日本の国あるいは社会が、日本の責任として、原発事故とその影響に対処していくのはあたりまえのことですが、それは人類全体が協同して取り組む対処“パートナーシップ”を強める一部分でなければならないでしょう。
 日本の取り組み方は、新しい市民革命に対してどんなかかわり方をしようとするか、答えることでもあるのです。日本のなかで、原発事故をこんな角度から考える市民の動きは、オーストラリアのウラン鉱山の拡張や環境汚染に対する先住民族、インドでの原発建設反対運動のうねり、中東の非核地域化をもとめ、日本の原発輸出の受け入れにも反対する中東諸国の市民運動、との連携などにも、現われています。しかし、国際的連携も大事ですが、それぞれの持ち場での運動が離れていて共鳴・共振するような超(ハイパー)パートナーシップの成りたちはもっと大事でしょう。

そこで、板垣は、<新しいムワーティン=市民>革命が、どうして中東から出発したのか、そして、その地球的拡大は世界をどのように変えるだろうか>という、板垣がぜひとも話しておきたいことにたどりつくのである。
                         ・・・つづく
参考
武藤 類子さんを知るために。
ハイロアクション福島原発 -9/19【さようなら原発】武藤類子さん - YouTube
おかんとおとんの原発いらん宣言
福島からあなたへ・武藤類子さんインタビュー - YouTube
「福島原発反対を闘って」福島県三春町武藤類子さん
武藤類子『福島からあなたへ 』(大月書店2012年5月/03)、13~33頁に2011.9.15明治公園スピーチ全文。

参照資料。

◎新しい市民革命のいい実例の記録です。 
童子丸開「銀行家どもに食いつぶされる欧州 
     ポール・クレイグ・ロバーツ論文和訳」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15Mキンセ・デ・エメ) 第8話:
(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)第7話:
5月15日から10月15日への「長征」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)第6話:
限界、分裂、そして広がり」
童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):   第5話:
世界に広がる「スペイン革命」
童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ): 第4話:
     暴力反対!」
童子丸開「515スペイン大衆反乱 キンセ・デ・エメ): 第3話:
     広場を取り戻せ!」                 第2話:
童子丸開「プエルタ・デル・ソルへ!」
童子丸開 「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ」  :   第1話:
【リンクはちきゅう座


三木亘 
世界史のなかのイスラム世界『イスラム世界の人びと1総論』
                       所収1984東洋経済

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