始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(4)2012年4月25日 (水曜日)
2012年4月25日 (水曜日)
始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(4)
<私が見てしまった「人類史の夜明けの虹」の話>が熱情あふれる感じで語られている。
まず、彼は1931年生まれ。
不思議なことに、それから10才、 20才、30才・・・と10年単位、彼の人生の区切りの年ごとに、歴史の曲がり角がやってきた、という。自分史と世界・日本史の共時性であろうか。
私はちょうど板垣の10年前、1921年生まれ。
まず1921年は、ウラジオストック出兵ではない、1918年から1922年まで続けられた「シベリア出兵」は第一次世界大戦時の連合国がロシア革命軍に囚われたチェコ軍団救出なる「大義名分」で行われた、ロシア革命に対するいわば干渉戦争であった。
参加した連合軍中、兵力の大半は日米の軍隊で、日本軍は各国より数十倍多い兵力7万3000人、4億3859万円から9億円(当時)を投入、3333人から5000人の死者を出し撤兵したソ連側の死者・損害の詳細は未だ不明であるようだ。
1920年には連合軍は相次いで撤兵したが、日本軍は単独で1922年まで駐留を続けていた。各国からは領土的野心を疑われ、「一物も得ずして撤兵した敗戦」である。
だが、その後も対ソ基地としての「満州国」樹立、対ソ戦想定の「関特演」、ノモンハンの敗戦とソ連敵視の軍事行動は続く。敗戦後の「シベリアなど抑留」は、ある意味で「シリア出兵」の裏返しの様相を呈する。
私が生まれた1921年は、失敗に終わった「シベリア出兵」(対ソ干渉戦争)の「一時」切り上げをきめた年であった。
一方、時代の趨勢で、河上 肇『社会問題研究』が創刊されたり、大原社会問題研究所が創立されたりしているのが、前年の1919年である。
また、『種蒔く人』第一次が創刊されたり、自由学園設立、自由法曹団結成、日本青年館設立、信濃自由大学(上田)に設立、『思想』創刊が1921年でもあった。
そして、ロシア共産党が新経済政策(ネップ)への移行を決定、中国では上海で中共1全大会、イタリアでファシスト党成立、モンゴル人民政府成立、海軍軍縮と極東問題のためのワシントン会議、そして中国の魯迅『阿Q正伝』発表、アイルランド自由国成立承認の1921年でもあった。
これらが象徴する世界―日本の変動は、誕生したばかりの自分にこれから押し寄せてくる世界であり日本であったのである。
あとは、10才以下、板垣 雄三と同じである。
彼は1931年生まれ、不思議なことに、それから10才の彼・20才の私、20才の彼・30才の私と、10年単位、彼と私の人生の区切りの年ごとに、歴史の曲がり角がやってきたのだ。
自分史と世界・日本史の共時性。2010年末から始まり2011年~2012年と世界にひろがる新しい市民の目覚め、99%の異議申し立て、怒と不満の爆発。
チュニジア・エジプトに始まる「アラブの春」、そしてスペイン・ギリシアなど金融資本にいじめられた市民の抗議とデモ・集会の波 —共鳴・共振は第三世界化している全世界に広がってゆく。
沖縄で、韓国で、中国で、インドで、ギリシアで、ドイツで、英国スコットランドで、べラルーシで、中南米で、そしてアメリカで、とくにボリビアで「母なる大地」法発効、イスラエルでも、おくれて3.11以後の日本でもフクシマの怒れる女たちの始めた<いのちの尊厳>を守ろうとする闘いが。
それら民衆の目覚めと立ち上がり。
その2011年、彼は80才、私は90才というそれぞれの区切り目。その区切り目の年2011年の特徴を板垣は指摘する。
2012年1月以降、板垣は自分の見方をたしかめる検証作業をすすめる。さらに、彼は中東で起きたムワーティン(市民)革命について考えるための着眼点を整理する。
これは、中東を知るためのカギともなろう。
イスラームは世界史的に超近代性(スーパーモダニティ)の土台を展開させはじめた。ヨーロッパの近代はそのような展開のローカルな現れだった。
だがヨーロッパは、イスラーム文明からおおくを学ぶことで拓いたヨーロッパの近代を、世界史のなかの排他的な中心=模範としてすえつけ、近代はヨーロッパからひろまっていくのだという「語り」を武力でもって裏付けるようになった。これが欧米中心主義である。
いま、世界中で市民たちが立ち上がり、その多角的な共鳴・共振が、無限大のネットワークを形づくりつうある。板垣のいうことは、一つ経産省前テントで実験されつつあるようだ。
●世界は、いま激変のときを迎えつつあります。
●いま、必要なのは惰性にひきずられない新鮮な思想と行動力です。
●学校でならうことが、そのままでは役に立たなくなります。
未来の学校で教えなければならない知識をつくりだしていくのは、みなさんです。
そして、結びに板垣は、<無責任体制が根強い日本社会ですが、19世紀には<明治維新の「世直し」を完成しようとした自由民権運動=自由を求める民衆決起がありました>として、東北、わけても福島県が、四国の高知県と並んで自由民権運動の一大中心だったこと。
二つの地域を結ぶ草の根の若者たちの往来・遊学が活発に行われたこと。
運動の大衆化が進む中で、十代末から二十代初め、今で言えば高校生・大学学部生の年代の活動が目立ったこと。
1882(明治15)年の福島事件と1887(明治17)年の秩父事件、二つの大きな大衆蜂起の中間に福島の若者たちの企てた加波山事件。そこで発表された革命宣言をあげている。
そして、<これを起草した琴田岩松は1886(明治19)年絞首台の露と消える、享年24歳。
福島事件の前後、演説で活躍していた彼は18~19才だった。
大日本帝国憲法発布は1889(明治22)年。板垣は最後にこう書いている。
<新しいムワーティン革命が世界にひろがる時代、日本の若者はどんな新しい生き方、どんな新しい社会の変え方をしてみせるでしょうか。>
(あと2回つづく)
【参考】
●毎日新聞2012年2月27日東京夕刊、特集ワイド「かつて水俣を、今福島を追うアイリーン・美緒子・スミスさんに聞く」{水俣と福島に共通する10の手口}-
1.誰も責任をとらない/縦割り組織を利用する
2.被害者や世論を混乱させ「賛否両論」に持ち込む
3.被害者同士を対立させる
4.データを取らない/証拠を残さない
5.ひたすら時間稼ぎをする
6.被害を過少評価するような調査をする
7.被害者を疲弊させ、あきらめさせる
8.認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9.海外に情報を発信しない
10.御用学者を呼び、国際会議を開く-以上、
みんな3.11以降、わたしたちがいやというほど見聞し体験させられた。
●国立国会図書館憲政資料室加波山事件関係資料(MF:個人蔵)
国立国会図書館憲政資料室加波山事件関係資料(所蔵)
茨城県古河市西公民館図書室
●東北文庫岡田 益男「福島事件」
●戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民党の人と風土』
(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032471
戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民軍の人と闘い』
(新人物往来社、2005年)ISBN 440403248X
戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民軍の戦いと最期』
(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032498
石井孝『明治維新と自由民権』(有隣堂、1993年)
ISBN 4896601157
色川大吉『明治の文化』(新版・岩波現代文庫、2007年)
ISBN 9784006001681
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