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始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(12)2012年10月19日 (金曜日)

2012年10月19日 (金曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(12)

 

【私のパレスチナ学習】
                

「1948年戦争」から29年経ち1977年11月横浜国際会議場で始めの『<パレスチナ問題を考える>シンポジウム』、それから4年経ち1981年11月日本大学法学部ではじめて学校教育者たちが『パレスチナ・アラブ・中東を考えるシンポジウム』開催、この二つの画期的シンポジウムの記録が、板垣雄三編『復刻版パレスチナ問題を考えるシンポジウムの記録』(第三書館、2012年)および 板垣雄三・吉田悟郎編『パレスチナ人とユダヤ人―日本から中東をみる視点』(三省堂.1984)-私のパレスチナ学習の出発点であった。

 私自身は、高校社会科世界史教師として、吉岡力さんの歴史教育研究所での板垣雄三三木亘の刺激で1974-79年にアラビア語・ペルシア語・トルコ語の学習を行い、横浜で開かれたシンポジウムの組織委員となり、「日本社会のパレスチナ問題観―教育の面から」という報告=問題提起を準備した。
それから五年おいた日本大学法学部でのシンポジウムは当時PLO駐日代表部のアブドル・ハミードさんのすすめもあり、高校世界史教師や板垣雄三、黒田寿郎長沼宗昭などに助けられ、初めての社会科および世界史教育者のパレスチナ・アラブ・中東学習のシンポジウムを成功させることができた。<パレスチナ問題は世界史―植民地主義とそれへの抵抗、帝国主義戦争と自立・共生・平和へ―の核心である>という確信が生まれ、根付いた。
今、2010年暮れからチュ二ジア・エジプトに始まる民衆決起―板垣雄三のいう「新市民革命」を見るにつけ、その確信が裏づけられたという感がある。
そして、そういう「新市民革命」に共鳴・共振する全世界の99%の民衆決起・異議申し立ての一環に、2012年3月11日の福島第一原発の事故に始まる福島の怒れる女性達を先頭にした歴史始まって以来、の全国的な民衆の怒りと異議申し立てがあることも偶然とはいえまい。
実は福島原発事故以前から本土ではない沖縄で沖縄人民の異議申し立て・日米政府への抗議運動が始っていたのである。
本土・政府および国民からする差別と無視・今回のオスプレイおしつけ。これは琉球処分・沖縄戦・戦後の沖縄処分と継続していたのである。対して、母なる海と大地・いのちと尊厳をとりもどそう・守ろうとする沖縄弧あげてのたたかい。本土もいまやようやく沖縄に眼をむけ、沖縄のたたかいから刺激を受けはじめているのである。
本土―日本にとって、沖縄はいわばパレスチナである。

パレスチナ問題はこのようにして極東の列島民衆をも含んだ新しい世界史の核心となりつつあるのである。20世紀後半以来アラブ諸国は、パレスチナを自分たちの体制をまもるための人間の盾としてきた。
 ここで、2011年に中東で起きた新市民革命を考えるための大事な着眼点をおさらいしておきたい。「新市民革命」という仮説を提起した学友板垣雄三の『これからの世界に向かって立ち上がる市民たち―十代の若い人たちに宛てた手紙』による。


◆革命は、米国の覇権とイスラエルの横車とを批判する運動の爆発。それを支え、それとこっそり手を結んで,生き延びてきたアラブ諸国の政府が、はげしい抗議の突き上げに揺さぶられる。だから、この革命は一国ごとの民主化より、世界の不公正な仕組みの変革をめざすもの。

◆そのように広範囲にひろがる政治変動が引き起こされる土台は、パレスチナ問題。それは、宗教や民族のあいだの紛争ではなく、植民地主義の支配対それへの抵抗、つまり欧米が殖民国家としてのユダヤ人の国」イスラエルをつくり支えるが、そのイスラエルによって排除・追放されるパレスチナ人が民族浄化に抵抗する、という重層の構図。

◆そのようなパレスチナ問題が生まれた根源にあるのは、ヨーロッパ(欧米)が歴史を通じて抱え込んできた反ユダヤ主義(差別・迫害)。ホロコーストの「償い」だと言って、パレスチナ人に犠牲を押しつけながら、ユダヤ人を隔離し棄民するイスラエル国家をつくる。この偽善のボロを出さぬため、欧米は、人工国家イスラエルを守る。イスラエルは中東で欧米の利益を守るための軍事国家としてニラミをきかす。

◆パレスチナ問題は、植民地主義を「仲直りと平和」や「民主化」の問題にすり替えて見せるバーチャル装置だが、パレスチナ人同胞の苦難を自分の苦難と感じる世界中のイスラーム教徒は騙せない。
そこで、イスラーム教徒をテロ容疑者に仕立てる「反テロ戦争」をグローバル展開する。「反テロ戦争」は根拠が危ういイスラエル国家の危険を管理するイスラエル防衛戦争であり、全世界を混乱に陥れ、パレスチナ問題の扱いを全人類に肩代わりさせて欧米は道徳的責任を免れる「自己破産」のための戦争でもある。
 この、脳みそをフル回転させないとわからないカラクリ、何度か読み返してもらえば、だんだん事柄が見抜けるようになると思います。わかってしまえば、次のような謎が自然に解けるはずです。それでもまだ残る疑問については、自分で調べ、考えてください。


*中東で市民の立ち上がりが、国を超えてひろがったのは、なぜか?
*パレスチナ問題が、全世界を巻き込む問題であるのは、なぜか?
*欧米の国々が、中東やイスラエルにとかく干渉がましいのは、
なぜか?
*米国とイスラエルが、やたらと戦争をしたがるのは、なぜか?

 民間教育団体の一つに歴史教育者協議会というのがあり、機関誌として月刊『歴史地理教育』を発行している。
私は戦後都立高校の社会科世界史の教師になり、高橋愼一委員長・小松良郎副委員長時代の歴教協の常任委員をしばらく務めたことがある、『歴史地理教育』1979年10月号にファトヒ・アブドル・ハミードの「現代史におけるパレスチナ人の歩み」が関場理一訳で掲載されている。
ファトヒ・アブドル・ハミード さんは、代官山にあったPLO初代駐日代表(現駐日パレスチナ常駐総代表部 General Mission of Palestine-Tokyo)であった。
これは1977年に設立されたが、PLOの財政難から1995年に閉鎖された。
しかし、2002年にアラファト議長のもとで海外拠点の見直しが進められ5大重要拠点として米.ロ、中、日、EUが挙げられ、2003年になり、約8年ぶりに再開。現代表はワリド・シアム駐日総代表部代表である。ファトヒ・アブドル・ハミード さんは、初代PLO駐日代表として、1977年から1984年まで駐日していた。この間、1981年11月にアラファト議長が日本に初来日している。「追悼 ファトヒ・アブドル・ハミード さん、君はパレスチナをみたか?」を寄稿された主婦長沢美沙子さんは、「ハミードさんは、PLOの闘士であり、政治家だったかもしれないが、実は、一人のジャーナリストだった」と伝えている。
ハミードさんは2000年1月14日永眠されている。
長沢美砂子さんの『略奪と喪失』は、2005年11月末パレスチナ―イスラエルに向かう。プライベートな旅でパレスチナは1999年春の家族旅行以来だった。
 以下 50358524―追悼 ファトヒ・アブドル・ハミードさん、君はパレスチナをみたか{寄稿:長沢美砂子「略奪と喪失(3)―ハミードさんと日本」を抜粋引用する。


「ファトヒ・アブドル・ハミード初代PLO駐日代表のことを皆、ハミードさんと親しみを込めて呼んでいた。
昨年末、ハミードさんの墓をお参りするために「神の丘」という意味をもつ町,ラマッラーにミセス・ハミードさんを尋ねた。-つづいて、ハミードさんの家族は今、ラマッラーの殉教者墓地、は省略する。次のハミードさんの人柄と日本での活躍を読む。
 坂井定雄氏(元共同通信記者、龍谷大学名誉教授)は次のようにハミードさんについて語っておられる。「彼の一生、人格は、優れたパレスチナの知識人、政治指導者の一人、戦士の一人として、いわば象徴といえるのではないでしょうか。あの穏やかな、しかし確固とした人柄は、まさにパレスチナ人です」と。
作家の李恢成さんは「若いときから哲学者の風格が漂っている人」と表現しておられたのを私は記憶している。そして、第一に親しみやすさと懐の大きさを持つ人だった。彼をよく知る人も高齢になっておられ、すでに他界された方が多い。
1983年末に日本を離れてから23年が過ぎ去り、ファトヒ・アブドル・ハミードという名前を全く聞いたことがない人も多くなった。
 ハミードさんの日本人との交流の広さは特筆すべきものがあった。経済界、政界、文学界、大学や研究所関係者、解放運動や平和運動の方々、報道関係の方々、写真家、音楽家たち。「オリーブの樹は燃えた」(『川崎隆司著作選集3』(ミネルヴァ書房)の付記にあるハミードさんの略歴紹介には、「当時、アラブ・イスラエル紛争に関心の薄かった日本で、精力的な活動を通じてパレスチナ問題の重要性を訴え、多数の日本人学者・知識人、市民の協力を得る」という一文がある。
 パレスチナ問題への無知識無理解・偏見が満ちる日本で、理解してくれる友人を得るために、あらゆる扉を叩いておられたという印象がある。中でも重視なさったのは報道記者の方々との交流であり、市民、政治家、知識人への啓蒙活動であったと思う。
その有力な手段としてハミードさんが見つけられたのは、情報月刊誌を自ら発行することであった.『フィラスティン・びらーでぃ(パレスチナわが祖国)』という月刊誌は、たしか1980年初頭に創刊され、1983年12月にハミードさんが日本を去るときに休刊(→廃刊)になった。
 4年間だけだったが、その意味は大きかったと思う。前田慶穂氏(元金沢大学教授、パレスチナ問題研究のパイオニアの一人、現在(89歳)は、「ハミードさんの日本での業績の最大のものは『フィラスティン・びらーでぃ』という月刊誌です」ときっぱり。「単なるお国自慢とか大使館の広報と違って、パレスチナ問題を客観的に扱っていて、しかも私を含めて様々な人がそこに参加するという、開かれた参加型の編集がされていましたね。ハミードさんは名編集長でした」と述懐される。
 アブドルハミード氏と刊行された『びらーでぃ』もともとジャーナリストから出発して'外交官’となったハミードさんが、遺憾なくその能力を発揮したのは国際政治動向と社会の分析・解説であり、編集の仕事だった。
1980年代、シリアの新聞『アッサウラ』(革命の意)の編集長の地位を捨ててファタハに入党すると、ニューデリー、ついで東京でPLO事務所の創設をまかされた。まず市民に訴え、世論を動かすことを心がけられた姿勢にはジャーナリストの誠意が生かされていたのだと思う。
 駐日代表時代の最大の歴史的出来事は、1981年11月のアラファト議長初来日であろう。日本政府は正式にPLOをパレスチナ人民の唯一の代表と認めたわけでも、PLO駐日代表事務所(代表部)に外交特権を与えて大使館並みの昇格を約束したわけでもないが、とにかく日本独自の中東外交を行うというなみなみならぬ意思が働いていたのは確かだった。
もうひとつの在日中のハイライトは、1982年のイスラエルのレバノン侵攻を民衆の立場で裁こうと小田実氏と板垣雄三氏、芝生瑞和氏らを中心とした日本の知識人と市民が行動を起こして実現した
 1983年3月末の≪イスラエルのレバノン侵攻に関する国際民衆法廷≫(IIPTIL)であろう。法廷で証言する人を含めて来日した外国人はざっと30人ほどになるだろうか。
ボランティアの日本人はその数倍ぐらいになると思う。趣旨に賛同した世界の知識人は、ラムゼイ・クラークチョムスキーを含め数十人。翌年、この国際民衆法廷の記録は英文と和文で三友社出版から出版されたが、すべてボランティアの力であった。
PLOはそれを主催したわけでもスポンサーになったわけでもないが、ハミードさんの日頃の活動の蓄積が背後にある。
1984年12月の離日の挨拶パーティには、各界から300人もの友人が駆けつけてくれた。初めて寂しく来日した8年前のことを思い浮かべてであろう、感無量になったハミードさんの横顔が思い出される。」以上で、長沢美砂子さんの「略奪と喪失(3)」-ハミードさんと日本-からの一部引用を終える。
『フィラスティン・びらーでぃ』のバックナンバーは数年前の引越しの際、蔵書整理のとき、うっかり廃棄してしまったので、やむを得ず調べてみたら国会図書館と成蹊大学図書館に全冊所蔵されていることがわかり、近くの成蹊大学図書館に調べに行った、以前と違い施設完備の立派な大図書館になっている。

合本されている『フィラスティン・びらーでぃ』を調べてみたら、私の文章は三篇掲載されていた。
1981年No.15に「イスラエルはユダヤ人問題を解決できるか?-ディアスポラ・ユダヤと国家・シオニストの限界性・孤立と退廃のユダヤ国家・隠蔽されたものは何か・不鮮明なイスラエル像―」と1982年No.27に「アジアの東の端から西の端へーアラブ理解と歴史教育の課題―歴史を書き直す・ひとつの問題提起・全人類史の課題に向けて」と1983年No.36「『パレスチナ社会発展史入門』を読んで―国家・民族・宗教の虚像をくだく」「何々人・何々国の世界史」、「来るもの、侵すもの」、「すべてを溶け込ませたパレスチナ史」、「パレスチナ史は主体的に歴史を読みとる眼をひらかせる」以上3篇をみつけた。
残念ながら、時間を限って調べたので、たしか社会科教師たちがそれぞれパレスチナ問題に生徒とともにどう対面したかを語りあった、私が司会した座談会の記録があったはずなのに見つからなかった。
この次の宿題にしたい。

 2001年にPCで≪ブナ林便り≫を毎日更新ではじめて以来、宿題のパレスチナ問題の学習・追究をどう続けたかについては、またいずれまとめてみたいし、皆さんもトップページであたっていただきたい。

               2012.10.17 よしだ ごろう

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三宝の教え

「3種の廃棄」


たまごっちやポケベルがあっという間に絶滅したように、人間が作ったものは人間の手で簡単に絶滅することができる。

_______________________


1.まず「パチンコ店の景品買い換金所」を絶滅せよ。

景品買いは質屋免許のない者がパチンコ店内外を問わず特定の場所で行えば、ただちに貨幣紙幣偽造と同じ内乱罪が適用される重大刑事犯罪である。

内乱罪は、無期懲役以上死刑の極刑まである。
情状酌量は、自首自白した場合を除いていっさい適用されない。
_______________________


2.人殺し以外に役に立たない武器銃器兵器の製造を、日本国内および海外日本大使館内において、いっさいがっさい止めよ。

日本国憲法は、第九条で主権者日本国民に日本国外で集団で武器銃器兵器を使用することを、未来永劫厳禁している。

これを破れば日本国憲法違反で、やはり上記の1.と同じ重大刑事犯罪の内乱罪が適用される。

第九九条により、「天皇又は摂政(総理大臣)及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」が日本国憲法違反を犯せば、過失であると故意であるとを問わず、ただちに憲法違反の重大刑事犯罪(日本国刑法では重過失は刑事犯罪である)として内乱罪が適用される。

ただし、天皇はすべての基本的人権を日本国憲法によって制限された主権者日本国民全体の「象徴」であるから、この場合天皇のみ刑罰の適用が免除され、直ちに退位して日本国籍と基本的人権を回復した上で終身禁錮となる。復位は認められない。
_______________________


3.解体しても核燃料の処分ができない放射能汚染垂れ流しの原発をドイツと同じようにすべて全廃せよ。

日本の電力は水力発電と火力発電だけで十分である。

人間が作った人工物であって、24時間365日莫大な電力を浪費し続けている世界一の電力穀潰しであるディズニーランド・ゲームセンター・パチンコ屋とテレビ局と携帯電話を日本国から絶滅させれば、莫大な余剰電力が生じてそれをまわせば日本人の商工業電力と生活電力はすべてまかなえる。

電力会社の電気料金詐欺は厳しく刑法で断罪する。

NHKと携帯電話の受信料通信料徴収契約は、日本国憲法第二九条私有財産権の保障に、真っ向から背く憲法違反である。これらの憲法違反である放送法電話通信法を使って料金を徴収している総務省は、日本国籍公務員組織であり、ゆえに憲法第九九条に違反する内乱罪が総務省公務員全員に適用される。
_______________________


以上の3種の人工物を日本の国から絶滅廃棄するだけで、直ちに日本国は世界一のGDPを達成することができ、世界中の国へ戦争の無い平和と放射能のない安全と地球に優しい江戸時代の日本の環境共存文化文明との三宝を、無償供与で援助することができる。

_______________________

★阿修羅♪NHKで大暴言、憲法読めない高村副総裁が露呈―自民党改憲草案のデンジャラスさ 
>>http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/908.html#c26

投稿: 通りがけ | 2016年4月 6日 (水) 14時54分

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